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下関丸 (初代)
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下関丸(しものせきまる)は、山陽鉄道→鉄道院→日本国有鉄道関門航路に在籍していた鉄道連絡船。同型船に大瀬戸丸がある。
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関門航路の下関丸の名の船舶は2隻あり、ここでは下関丸(初代)について記述する。
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概要
関門航路は1898年(明治31年)9月1日、山陽鉄道子会社の山陽汽船により下関港~門司港間の定期航路の運航が開始される。1901年(明治34年)5月27日 山陽本線下関駅開業に合わせて新造された船舶が、下関丸と大瀬戸丸である。
三菱合資会社三菱造船所の136番船として建造され[1][2]、1900年(明治33年)9月2日に起工[1]。1901年(明治34年)2月16日に進水し[1]、同年5月14日に竣工[1]。5月27日、関門航路に就航した。
1920年(大正9年)12月27日、下関丸は特別席設置などの改造を経て宮島航路に転属する[2]。この際七浦丸に船名を変更。
戦後はGHQの日本商船管理局(en:Shipping Control Authority for the Japanese Merchant Marine, SCAJAP)によりSCAJAP-N058の管理番号が付与された[2]。
1946年(昭和21年)4月24日、大島航路が山口県県営から国鉄に移管されると、七浦丸は大島航路に転属したが、1947年(昭和22年)12月に昭和天皇が宮島に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)した際には、お召船に充てられた[3]。
その後、1954年(昭和29年)7月、大島航路で自動車航送が開始されると、自動車積載能力が無いため、再び宮島航路に転属となる。
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脚注
参考文献
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