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中村福助 (9代目)

歌舞伎俳優 ウィキペディアから

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九代目 中村 福助(くだいめ なかむら ふくすけ、1960年10月29日 - )は、歌舞伎役者俳優屋号成駒屋定紋祇園守、替紋は裏梅。本名は中村 栄一(なかむら えいいち)。
父は七代目中村芝翫で、弟に八代目中村芝翫、長男に六代目中村児太郎がいる。所属事務所はアーロム青山学院高等部中退[1]。公称身長172cm・血液型O型[2]

概要 屋号, 定紋 ...
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来歴

1967年4月大歌舞伎にて父:七代目中村芝翫襲名公演として催された歌舞伎座『野崎村』の庄屋の倅(せがれ)・栄三ほかで五代目中村児太郎を名乗り初舞台。1981年名題適任証を取得し、1983年芸術選奨新人賞を受賞する。同年、重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる[3]

1992年4月大歌舞伎にて、歌舞伎座『金閣寺』の雪姫と『娘道成寺』の白拍子花子で九代目中村福助を襲名。2005年日本藝術院賞受賞。

父・七代目芝翫から流れる成駒屋の女方芸の継承者として活躍するほか、義兄・十八代目中村勘三郎が生前に企画し、旗揚げした「コクーン歌舞伎」でも弟・三代目橋之助(当時)とともに出演している。

2011年10月に父の死去により日本舞踊中村流の宗家に就任する。

2013年9月、成駒屋の大名跡である中村歌右衛門を七代目として襲名すると共に、長男・児太郎に十代目福助を継がせることが明らかとなった[4]が、同年11月公演を体調不良のため途中降板[5]脳内出血による筋力低下のため暫く休業することが発表された[6]。以後、歌右衛門・福助ダブル襲名は保留となっている。

2018年9月2日開幕の「秀山祭九月大歌舞伎」で4年10か月ぶりに舞台復帰[7]

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人物・逸話

  • 妻・香璃(かおり)[8]とは1990年歌舞伎座第1回八月納涼歌舞伎上演の頃に出会い、1992年6月27日に父・七代目芝翫と同じ東京會舘にて挙式[9][10]。翌・1993年12月23日に長男・優太(現・六代目児太郎)が生まれ、1996年1月24日に長女・佳奈が誕生している[11][9]。一男一女の父親である。
    歌舞伎役者となった長男・児太郎だけでなく、長女・佳奈も幼少期の2004年9月、歌舞伎座「九月大歌舞伎」夜の部『恋女房染分手綱 重の井』に於いて、祖父・七代目芝翫が演じる乳人重の井と共演し、由留木息女 調姫(しらべひめ)役で舞台経験がある[12][13]
  • ウルトラマンファンである。これは2006年に甥の二代目中村七之助が『ウチくる!?』(フジテレビ)に出演したときに、七之助によって明かされている。また、福助も番組内のコーナー「う〜っ!チクる!?」でビビる大木の訪問を受けている。
  • 阪神タイガースのファンでもあり、タイガースが優勝すると役者仲間に「とらや」の羊羹を配って回る程である。また、自身の楽屋のれんもタテジマに虎のロゴ、六甲颪の歌詞が刺繍した特注品を掛けていた時期があった。福助自身は阪神ファンになったのは、自身の少年時代が丁度読売巨人軍V9時代であり、強い巨人軍に対抗するタイガースへの判官贔屓の念からであったことを語っている[14]
  • 宝塚歌劇団のファンでもあり、タカラジェンヌとも交友が深い。1989年歌舞伎座で行われた俳優祭では、『ベルサイユのばら』のパロディで念願のオスカル役を演じ、かつらを当時オスカル役を演じた涼風真世に借りて挑んだという。[15]他、2004年の俳優祭でも宝塚パロディでオスカルを演じたが、この際に真矢みきから演技指導を受けたという。
  • 若い頃はプレイボーイで、週刊誌に載ることもあったという。しかし、女形としての才能は高く、芸の肥やしとしてそれが生かされたとも言われている。
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出演

歌舞伎

テレビ

映画

脚註

外部リンク

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