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ベルサイユのばら (宝塚歌劇)

宝塚歌劇団のミュージカル ウィキペディアから

ベルサイユのばら (宝塚歌劇)
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ベルサイユのばら』は、宝塚歌劇団ミュージカル作品。原作は池田理代子の同名漫画ベルサイユのばら』。

概要 ベルサイユのばら, 脚本 ...

1974年の初演以来再演を繰り返し、2006年1月9日には通算上演回数1500回を突破、2014年6月27日には通算観客動員数500万人を記録した[1]、宝塚歌劇団史上最大のヒット作である。

概要

初演時に演出を担当したのは俳優長谷川一夫。宝塚歌劇団の専属脚本家、植田紳爾が潤色・脚本化し、長谷川と共に演出を担当した。

初演までは上演反対の意見も多かったが(詳しくは別項「ベルばらブーム」参照)、初演は大成功を収め、空前絶後の社会現象になった。

この作品は、初演当時テレビに押されて停滞気味であった宝塚歌劇団の人気を復活させる作品となったばかりではなく、非宝塚歌劇団ファンの一般人にとっても「宝塚歌劇団」の代名詞的な作品になっている。上演すればかなりの集客を常に期待できる演目であるため、宝塚歌劇団にとって「ここ一番の真剣勝負」というときに上演されることが多い。

長谷川の死後は、長谷川の遺した「型」を生かしつつ、植田が脚本・演出を取り仕切っている。最近では、谷正純が演出陣に加わっている。

2005年12月6日NHK総合テレビの『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』にて、初演が行われるまでの経緯と舞台裏の再現ドラマが特集された(この放送内容は宝塚歌劇団関連会社のTCA(宝塚クリエイティブアーツ)より発売された「ベルサイユのばらGRAND HISTORY」の特典ディスクに収録されている[2]。ただし、著作権上の理由により、中島みゆきの曲、及び長谷川一夫出演映画と歌舞伎映像使用場面は割愛してある)[3]。また、2022年7月15日の同チャンネル『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』においても、同様の特集を「ベルサイユのばら オスカルになりたかった私たち」という題で生放送され、池田理代子、榛名由梨らがインタビューに答えた。

2008年より『外伝 ベルサイユのばら』として、池田理代子が新たに書き下ろしたストーリーにより、新作が上演されている。

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あらすじ

要約
視点

上演ごとに内容が異なるので、基本的なあらすじを記す。

オスカル編

貴族の出身のオスカルは、世継ぎの生まれぬ父親によって、女でありながら男として育てられた、男装の麗人である。

幼くして両親を亡くしたアンドレは、オスカルの乳母をつとめる祖母のマロン・グラッセに引き取られる。ジャルジェ家へ迎えられ、オスカルの世話役を仰せつかり、それ以来、片時も傍を離れず影となって支える。いつしかオスカルを親友から一人の女性として見るようになるが、アンドレは平民の身分であった。

アンドレは、オスカルをかばって目を怪我して以来、段々と目が見えなくなってしまう。オスカルは王宮守護の近衛隊から国民を守る軍隊衛兵隊への転属を自ら志願し、隊長を務めることになる。最初は隊員の誰もが、「女の貴族には従えない」と反発していたが、オスカルの博愛精神と純粋な心に、いつしか結束が固まっていく。

アンドレは、オスカルとオスカルのかつての部下で貴族の将校ジェローデルとの結婚話にショックを受け、オスカルを殺してでも永遠に自分のものにしようとするが、寸前で思いとどまり、今までの自分の想いを告げる。最初はとまどったオスカルだが、そのうちに自分の中のアンドレへの想いに気づきはじめる。

そんな中、フランス国内の情勢は急速に悪くなっていった。貧富の差が拡大し、平民の不満は頂点に達し、いつ貴族と平民が血と血で争うことになっても、おかしくない状況となっていく。ついにオスカルは、衛兵隊の指揮官として、パリ出動の先陣に立つことになる。

今、パリに行けば、生きて帰れるかわからない。パリ出動前夜オスカルはアンドレに自らの思いを吐露し、二人はついに結ばれる。

しかしアンドレは目が不自由なためにセーヌ河畔の橋上でオスカルの身を案じながら銃弾に倒れる。翌7月14日、悲しみを振り切り、気丈にも衛兵隊を率いてバスティーユに向かうオスカル。後に「フランス革命」と呼ばれた、平民が絶対王政の象徴だった、バスティーユ監獄を篭絡した日。オスカルは、弱き者の力になると、平民の盾となって貴族の部隊と戦うのだった。

激戦の中、銃弾に倒れたオスカルは「バスティーユに白旗が!」と叫ぶ部下アランの言葉を妹同然の娘ロザリーの腕の中で聞く。フランス革命がなされたその瞬間に、生涯の幕を閉じるのだった。

絶命したオスカルに「オスカル、オスカル…」と聞き覚えのある声が呼びかける。その声に目覚めてオスカルが立ち上がるとアンドレが現われる。一足先に戦死したアンドレが天国からオスカルを迎えに来たのだった。アンドレに抱擁されるオスカル。地上では実らなかった「身分違いの恋」をここに成就し、二人は天国へ旅立つのだった。

ラストシーンにおける原作漫画との差異

原作漫画においては、オスカルがバスティーユ攻撃中に敵弾に撃たれた直後に、傷の手当てをするロザリーが「あ…アンドレ アンドレ 聞いてちょうだい お願いよ!! オスカルさまを…オスカルさまをつれていかないで つれていかないで お願い!!」というセリフや、オスカルの死後、二人の死を悼んでベッドで休んでいるマロングラッセ(アンドレの祖母、オスカルの乳母)の頭上にオスカルとアンドレ(の魂のようなもの)が二人寄り添う画は出てくる[4]。 しかし、一足先に戦死したアンドレの魂がそのあとバスティーユ攻撃で戦死したオスカルの魂を天国から迎えに来る明確なシーンを演じるのは宝塚歌劇団の舞台作品におけるオリジナルである。 差異の理由は、原作はオスカルの死後も物語が続くが、「宝塚歌劇 ベルサイユのばら -オスカル編- -オスカルとアンドレ編- -アンドレとオスカル編-」においてはオスカルの戦死によって物語を終結させなくてはならない。 また、「主役の男女二人(オスカルとアンドレ)はラストシーンに必ず出番がある」という宝塚歌劇独特のしきたりがあるため。

フェルゼンとマリー・アントワネット編

オーストリア皇女、マリー・アントワネットは、政略結婚で14歳の時にフランス王太子、後のルイ16世の元に嫁ぐ。無知で幼く、単純に奇麗なドレスを喜ぶ少女であった。

アントワネットは18歳の時にパリ・オペラ座仮面舞踏会にて生涯の恋人、スウェーデン貴族フェルゼンと遭遇する。その時、アントワネット付きの近衛仕官だったのが、金髪の男装の麗人オスカル。異国に生を受けた3人はその夜、運命の出会いを果たす。

フェルゼンとの道ならぬ恋に思いを募らせるアントワネットに「国家の母としての義務を忘れるな」と諫めるオスカル。アントワネットは「軍服を着ているうちに女の気持ちを忘れてしまった」とオスカルを詰った。しかしオスカルもまたフェルゼンへのかなわぬ思いに悩んでいた。親友として親交を暖めていたオスカルとフェルゼンだったが、オスカルの胸のうちには女としての想いが芽生えていたのだ。

フェルゼンはアントワネットを深く愛していた。2人の愛が醜聞となりアントワネットを破滅させると感じたフェルゼンは男らしく身を引く決心をする。彼は、愛を胸に秘めてスウェーデンに帰国した。

フランス国内の不穏な空気は高まり、貧しい民衆達の不満は爆発寸前だった。近衛隊から衛兵隊へ転属したオスカルは民衆達の暴動に備えて1789年7月12日、パリ出動を命じられる。

オスカルの養育係の孫である平民のアンドレは護衛として常にオスカルに寄り添ってきた。彼は身分違いと知りながら心密かに長年オスカルを愛していた。オスカルも常に自分を支えてくれるアンドレの大きな愛に気づき、彼を愛するようになる。パリに進駐することになれば身分を捨て命をかけて戦わねばならないと覚悟したオスカルはアンドレとの結婚を決意し、ついに2人は結ばれる。オスカルは貴族の身分を捨て民衆と共に戦うことを宣言し、貴族側の軍隊との戦闘に突入した。アンドレはオスカルの身を案じながら戦死し、翌7月14日(フランス革命記念日)、民衆達はバスティーユ監獄を襲撃した。愛する人の死を耐えながら気丈に軍隊を指揮するオスカル。しかし彼女も銃弾に倒れ、部下の衛兵隊員アランの「バスティーユに白旗が!」という言葉を聞きながら息絶えた。

革命の勢いに押された群集はベルサイユに押し寄せ、アントワネットは民の声にベルサイユを離れパリに行くこととなる。彼女の窮地を知ったフェルゼンは彼女を救うべく、命がけで急遽スウェーデンからフランスにやってきた。

国王の処刑後、コンシェルジュリ牢獄に囚われていたアントワネットのもとにフェルゼンは彼女を脱獄させるためにやってくる。「別に囚われている子供たちを置いては行けない」と脱獄を断るアントワネットにフェルゼンは涙ながらに説得するが、アントワネットは拒み通す。アントワネットはフェルゼンの絶叫がこだまする中、フランスの王妃らしく誇り高く毅然として断頭台へと向かうのだった。

ラストシーンにおける原作漫画との差異

原作漫画においては、コンシェルジュリー牢獄に移されたマリーアントワネットのもとにジャルジェ将軍が面会に訪れマリーに脱走計画を明かすが、「子供たちをおいて逃げるわけにはいかない」と拒否するシーンはある[4]。しかしフェルゼンがコンシェルジュリー牢獄に極秘面会に訪れ、脱走を持ちかけるラストシーンは宝塚歌劇団の舞台作品におけるオリジナルである。 差異の理由は“主役の男女二人(フェルゼンとマリー)はラストシーンに必ず出番がある”という宝塚歌劇独特の仕来りがあるため。

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主な登場人物

楽曲

  • 愛あればこそ/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 愛の面影/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 愛の巡礼/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 愛の怯え/作詞:植田紳爾、作曲:平尾昌晃
  • 結ばれぬ愛/作詞:片桐和子、作曲:平尾昌晃
  • 駆けろペガサスの如く/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • ごらんなさい ごらんなさい/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 白ばらのひと/作詞:植田紳爾、補作詞:片桐和子、作曲:平尾昌晃
  • 我が名はオスカル/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • ばらベルサイユ/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 青きドナウの岸辺/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • アン・ドゥ・トロア/作詞:植田紳爾、作曲:吉田優子
  • 心の白薔薇/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 心のひとオスカル/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • ばらのスーベニール/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
  • 乙女の祈り/作詞:植田紳爾、作曲:吉田優子

ベルばらブーム

要約
視点

1970年前後、宝塚歌劇団はスターを輩出し、ブロードウェイ・ミュージカルの翻訳上演も始めるなど(海外作品の初紹介は1967年。)、新機軸を打ち出してもいたが、テレビの普及や娯楽の多様化の影響を拭い去るには至らず、赤字決算となっていた。平日には客席に閑古鳥が鳴く日も増えており、歌劇団存続を危ぶむ声が歌劇団内部にも広がり始めた[5]。危機感を感じたスタッフたちには「舞台に責任を持つ専属演出家[注 1]をはじめ、ほぼ歌劇団内部の人間のみでの舞台作り、という旧来からの制作体制では、観客の嗜好に対応し続けていけるのか」との認識があり、その結果、新しい方向性を求め、外部からの演出家の招聘が行なわれ[注 2]、その一環として、戦前からの宝塚ファンでもあった長谷川一夫も招かれ、1971年、宝塚歌劇団で『我が愛は山の彼方に』の演出を手がけた(脚本・共同演出:植田紳爾)。

10世紀朝鮮半島を舞台にした『我が愛は山の彼方に』は長谷川演出ということで話題作となり、観客動員で一定の成果を挙げ、宝塚歌劇団は長谷川一夫に更に演出を依頼、長谷川が、宝塚歌劇団での2作目は洋物(外国を舞台にした作品)を手がけたいと希望、また脚本・共同演出担当として、評価していた植田を指名した。

長谷川の要望を受け題材の選定に入った植田は、交流のあったファンから、約半年前に「『ベルサイユのばら』は宝塚歌劇団にぴったりの作品」と聞かされており、題材として検討(もっとも植田自身、ファンから初めて聞いた時は、宝塚歌劇団で漫画を舞台化した例もほとんどなかったため、真剣に考えていなかったという)。

原作を通読した植田は登場人物たちの愛の描き方に感銘を受け「この作品は舞台化すればいける、ぜひ手がけたい」との手応えも感じて、企画案を長谷川に相談、はじめ長谷川は「描かれているのは王妃の浮気の話。清く正しく美しく(が方針)の宝塚ではやったらあかん」と指摘、主に物語の内容面から乗り気でなかったという。植田は、本作のような華やかなコスチューム・プレイが長谷川の演出とも相性が良いのでは、と考えてもおり「宝塚歌劇らしい作品にします」と脚本での工夫などを改めて言明して長谷川を説得、なんとか長谷川の賛同を得て上演計画が動きだしたという[6]

漫画を舞台化してのヒットの実績が歌劇団になかったこともあり、企画を提案された歌劇団内部では首脳陣から反対の声もあがったが、長谷川の賛同を得ていたことが決め手のひとつとなって、なんとか上演が決定、原作者・池田は宝塚歌劇好きで、舞台化を快く了承(植田の回想によると「安めの原作料の支払いだけで上演許可をくれた」という[6])。多忙な長谷川が稽古や演出のために時間をとれる時期を考慮して[7]、月組公演として公演時期も正式に決定する。

しかし、宝塚歌劇団から上演・配役が公表されると、原作ファンから「原作での八頭身のオスカルを日本人が演じるのは無理、イメージが壊れるから上演の中止を」などと批判的な投書が多数届き[8]、植田のもとにもたびたび剃刀を入れた脅迫の投書が送られてくる事態となる。

上記のような逆風の中稽古が始まり、演技を磨くのはもちろん、出演者たちは、鬘や衣装がよく馴染むよう入念に調整、原作の絵柄を化粧台に置き、参照しつつ化粧する[9]など、「原作のイメージが壊れる」と訴えるファンたちにも舞台を見て納得してもらおうと、工夫を重ねた。

演出の長谷川も「漫画の舞台化なのだから、原作と全く同様に目を輝かせるのは無理でも、照明を活かして役者の目に星を飛ばせないものか」と着目、照明のあたり方を研究した末、2階席に視線を送れば照明が目にうまく写り込むことに気づき、最も照明を活かせる位置の座席番号を把握した。そして生徒たちにその座席番号まで指示して視線の配り方を徹底指導し(その際、2階席の手すりから1階席に落とし込むよう視線の配り方を指導した[8])、照明や衣装を活かして最大限に美しく演じる二枚目俳優らしい切り口で、劇画から飛び出してきたような舞台を追求していった。

また、若き日に歌舞伎界で女形修業を積んだ後、映画界に転じて二枚目大スターとなった長谷川は、その経歴を生かして、男女を演じ分けて手本を見せつつ、観客から見て美しいラヴシーンを出演者たちに教えていった。「役者が苦労してこそ、観客には美しく見える」という彼ならではの美学により、体の捻りを多用した演技を伝授、彼の指導により生み出された数々の演技・所作は、長谷川の遺産ともいえる“型”として、最近の上演にまで受け継がれている。

宝塚大劇場で迎えた初日は開幕前、出演者全員が一言も発しない異様な集中力が漲っていた。そして終演後、「3階席から歓声が降ってきました」と喜ぶ榛名由梨たちの声を聞いて、植田は作品の成功を確信したという[6]。初日観客数は約9割の動員であったが、翌日から連日満員御礼の盛況が続き、思わぬ反響に歌劇団は沸き、「翌年に第2弾を」と決定する。翌年の上演は一本立て上演となり、花組公演に決定、トップスターの個性等からオスカルとアンドレを中心とし、一本立てとなってより長い公演時間を確保できることもあって、「今宵一夜」の場面等を植田が加筆、大当たり作品の第2弾とあって、植田がオスカル役に安奈淳を推したことが論議を呼んだりもした(当該公演の項目参照)が、結果は初演版以上の大ヒットを記録。結局76年まで、更に雪組、星組、月組による各本公演が続く大ブームとなった。

ベルばらブームが歌劇団の話題のみにとどまらず、社会現象にまで膨らんだこともあって、「ブームは一過性のもの」との評も聞かれ、植田は「次に作る作品がベルばら以上の作品でなければ、ベルばらブームはたまたまのものだったと言われる」と痛感、次回作にはベルばらに物語、スケール、知名度等で匹敵する作品を、と考慮を重ねた結果、77年、植田脚本・演出で宝塚版「風と共に去りぬ」(風と共に去りぬ (宝塚歌劇))を上演、ベルばらに次ぐヒットを記録。以降「風と共に去りぬ」は78年まで全4組により上演、ベルばらも80年まで毎年地方公演で上演され、歌劇団は一連のブーム終焉後の急失速を回避できた。2作品はその後折に触れて再演され続け、21世紀の現在に至るまで、歌劇団の財産となっている。

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これまでの上演

要約
視点

1974 - 1976年(昭和ベルばら)

月組初演を皮切りに4組で上演。

1974年・月組
8月29日 - 9月26日[10](新人公演:9月12日[11]):宝塚大劇場、11月2日 – 11月27日[12](新人公演:11月18日[11]):東京宝塚劇場
併演は宝塚では舞踊詩『秋扇抄 [10]』、東京ではショー『ザ・スター [12]』。その後の公演から比較すれば、一番原作に忠実な脚本といえる。
オスカルを演じた榛名由梨が大好評で、原作ファンたちからも「オスカル様そのもの」と讃えられた。
※放送:公演当時NHKで実況中継(一部省略あり)され、後に再放送もされた他、宝塚歌劇専門CSチャンネルTAKARAZUKA SKY STAGEでも放映された。
宝塚公演のデータ[10]
  • 形式名:宝塚グランドロマン
  • 3部30場
1975年・花組
7月3日 - 8月12日[13](新人公演:7月16日[11]):宝塚大劇場、11月1日 – 11月27日[12](新人公演:11月16日[11]):東京宝塚劇場
サブタイトルは「〜アンドレとオスカル〜[13]」。この作品からすべて一本立て興行。原作で人気のあったアンドレとオスカルのカップルに的を絞った脚本。
※改訂:オスカルがアンドレの膝枕で眠る場面、アンドレの毒殺未遂、ロザリーの出生の秘密、盗賊「黒い騎士」の正体などの場面が、この作品から新しく加えられた。
※配役:当時ダブルトップだった花組においてオスカル役をめぐり、初演で演じて人気を決定付けた榛名由梨と、初演前からファンの間でオスカル役が最も似合うと評判だった安奈淳それぞれを推す意見があり、歌劇団上層部でも議論が分かれた。最終的には植田紳爾がオスカル:安奈を主張して押し切った。そのかわり、サブタイトルでは榛名の役名の方をトップにしたという、ダブルトップ(榛名の方が上級生)の扱いに配慮したエピソードが残っている。
安奈によると、当初の予定ではオスカル役が榛名でアンドレ役が安奈だった[14]。前年の『ベルばら』で榛名が初代オスカル役を演じたことから、1975年版も引き続き同役に選ばれた。しかし、安奈は「オスカルとアンドレが並んだ時に、自分より背の高い榛名さんがアンドレを演じた方が見た目のバランスがいいのでは?」と考えた。脚本を担当した植田に配役を相談した[注 3]所、「それもそやな」と言われてオスカル役を安奈、アンドレ役を榛名で演じることが決まったとのこと[14]
宝塚公演のデータ[13]
  • 形式名:昭和49年度芸術祭受賞記念 宝塚グランドロマン
  • 3部34場
1975年・雪組
8月13日 - 9月30日[13](新人公演:9月20日[11]):宝塚大劇場、1976年3月28日 - 4月25日[12](新人公演:4月11日[11]):東京宝塚劇場
花組が大評判となった為、急遽続演が決定。トップ汀夏子がオスカルに適役ということもあり、花組版の細部を改訂した脚本となる。雪組はダブルトップではないため、当時研6(入団6年目)の麻実れいがアンドレに大抜擢された。
翌76年の東京公演時に下記星組公演との「ベルばら東西同時上演」が実現、そればかりでなく、4月からは花組による地方公演も始まっており、全4組中3組が同時に「ベルばら」を上演する、というブーム絶頂期を窺わせる公演日程であった。
宝塚公演のデータ[13]
  • 形式名:昭和49年度芸術祭受賞記念 宝塚グランドロマン
  • 3部35場
1976年・星組『ベルサイユのばらIII』
3月25日 - 5月12日[15](新人公演:4月13日[11]):宝塚大劇場、7月2日 - 8月1日[12]:東京宝塚劇場
初演月組の脚本を元に、花組・雪組の名場面も取り入れつつ、フェルゼンとマリー・アントワネットを中心に描いた改訂版。
宝塚では当初、5月11日までの予定であったが、好評のため12日まで上演された[15]
初風諄が月組から特別出演。
※役替わり:初日には歴代4人のオスカルが勢揃いし、華を添えた。東京公演中、7月21日、22日に役替わり公演があり、マリー・アントワネットを四季乃花恵、フェルゼンを峰さを理が演じた。宝塚公演では先述の4人が期間ごとにオスカルを演じる役替わりの新機軸も導入され、呼び物となった。
※改訂:宝塚歌劇のベルばら作品ではこの作品において唯一ヴァレンヌ事件が演じられている。(「第2部・7場 ヴァレンヌの森」)[16]
このシーンでは国王一家が乗る馬車を曳く馬に本物の馬が使われた[17](本物の馬が用いられたのは宝塚での公演のみ)。また、フェルゼンが神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(アントワネットの兄)に謁見を果たし、アントワネット救出を嘆願する場面などがこの公演から新しく書かれている。
第62期生日向薫夏美よう飛鳥裕ら)の初舞台公演。
宝塚公演のデータ[15]
  • 形式名:宝塚グランド・ロマン
  • 2部30場
1976年・月組『ベルサイユのばらIII』
8月5日 – 8月30日[12]:東京宝塚劇場
星組の大評判のため、急遽東京宝塚劇場でのみ上演された。フェルゼンとマリー・アントワネットを中心に描き、星組の脚本をさらに改訂、東京公演のみという変則的な形ではあるが、昭和ベルばらの集大成として、昭和版最大規模の作品に仕立てられた。初風諄はこのアントワネット役を花道に退団した。
鳳蘭が星組より特別出演。20日に役替わり公演があり、マリー・アントワネットを北原千琴、フェルゼンを当時研4(入団4年目)の大地真央が演じた。
※改訂:フェルゼンの帰国の際、アンドレが「帰る前にオスカルに会ってやってください」と頼む場面などが新設された。
※録音:ここまでの公演ですべて、実況LPが発売された(初演~星組版は各2枚組。この月組東京公演は歌劇実況LPでは唯一となる3枚組商品)。
人気に応える形でこの年だけでも全4組による公演が実現(地方公演含む)しており、初演からここまでの上演で合計約140万人の観客を動員。長谷川の演出ということもありファンが急増、空前のタカラヅカブームを巻き起こした。作品の成功に対し1974年に文化庁芸術祭優秀賞、ベルばらシリーズに対して1976年に菊田一夫演劇賞特別賞が贈られた。

1989 - 1991年(平成ベルばら)

宝塚歌劇75周年・フランス革命200年を記念して再演。

1989年・雪組(アンドレとオスカル編)
8月10日 - 9月19日[18](新人公演:8月25日[19]):宝塚大劇場、11月3日 – 11月28日[20](新人公演:11月14日[19]):東京宝塚劇場
第1部:許されざる愛[18]、第2部:神に召されて[18]
形式名は「住友VISAシアター 宝塚グランドロマン[18][20]」。宝塚は2部34場[18]、東京は2部37場[20]
当時のトップスター杜けあきがアンドレ、2番手一路真輝がオスカルを演じた。初めてアンドレが単独の主役となった。
オスカルが「男装の麗人」という作品の特性上、主役カップルが男役2人となっているため、娘役トップ鮎ゆうきがロザリー役でアンドレとの共演場面がある他、鮎は小公女もつとめて一部物語の語り手となるなどの出番が設けられている。
※改訂:アンドレが視力の衰えをカバーしようと密かに励む場面などが新しく描かれ、彼の出番が増えた。
※役替わり:下表の通り、朝香(花組)、紫苑、麻路(以上・星組)を特別出演としてフェルゼン役に招く、役替わり公演が行なわれた。以後の再演でも役替わりは呼び物のひとつとして、度々行なわれることとなる。
  • フェルゼン:麻路さき公演が実況LD・VHSとして発売。
  • フェルゼン:紫苑ゆう公演はNHK放送(収録)。
さらに見る 宝塚, 東京 ...
1989年・星組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
9月22日 - 11月7日[21](新人公演:10月17日[19]):宝塚大劇場、1990年3月4日 - 4月1日[22](新人公演:3月13日[23]):東京宝塚劇場
第1部:新しき運命の渦の中に[21][22]、第2部:いたましき王妃の最後[21][22]
形式名は「VISAシアター 宝塚グランドロマン[21][22]」。宝塚は2部36場[21]、東京は2部40場[22]
この年に行われたニューヨーク公演に参加した人数が多かったため、少ない人数で行われた。
※役替わり:宝塚では星組の大輝ゆうの他に花、月、雪より特別出演した安寿ミラ涼風真世一路真輝がオスカル。役替わりに加わるスターたちの個性にも合わせ、ジェローデルも初めて役替わりに登場、専科からのベテラン出演者も巻き込んで、脇役も含めての総勢10人という大掛かりな役替わりも導入された。
東京公演ではニューヨーク公演メンバーが帰国しており、オスカル役は帰国メンバーの紫苑ゆうが演じ、大劇場でオスカルに扮した大輝は新人公演のみオスカルを演じた。大輝はこのオスカル役を花道に退団した。
さらに見る オスカル, ジェローデル 少佐 ...
さらに見る マロン・グラッセ, プロヴァンス 伯爵 ...
1990年・花組(フェルゼン編)
3月29日 - 5月8日[24](新人公演:4月17日[23])宝塚大劇場、7月1日 – 7月29日[22](新人公演:7月10日[23]):東京宝塚劇場
第1部:薔薇に涙を[24][22]、第2部:別れの紅薔薇[24][22]
形式名は「VISAシアター 宝塚グランドロマン[24][22]」。宝塚は2部38場[24]、東京は2部39場[22]
当時の主演コンビ大浦みずきひびき美都がダンスに秀でたコンビだったため、ダンスシーンが加筆される。通称「踊るフェルゼン編」。
※改訂:メルシー伯爵がフェルゼンに、王妃のため身を退いてほしい、と懇願する場面、スウェーデンに帰国していたフェルゼンがアントワネットの危機を知り、救出を決意してスウェーデン国王グスタフ3世 に謁見する場面なども新しく描かれている。
第76期生彩輝直風花舞純名里沙月影瞳星奈優里樹里咲穂寿つかさ高翔みず希ら)の初舞台公演。
上記76期生・入団首席の純名里沙が歌劇団史上初の「初舞台生にしていきなりエトワール」という快挙を達成(エトワール:フィナーレのパレードでの初めの部分を受け持つ歌手)している。
東京の新人公演の脚本は第1幕と第2幕の1、8、9場を上演[23]
さらに見る オスカル, ヨーゼフ 二世 ...
1991年・月組(オスカル編)
3月28日 - 5月7日[26](新人公演:4月16日[27]):宝塚大劇場、7月2日 – 7月31日[28](新人公演:7月9日[29]):東京宝塚劇場
第1部:愛の肖像[26][28]、第2部:愛の神話[26][28]
形式名は「VISAシアター 宝塚グランドロマン[26][28]」。宝塚は2部40場[26]
涼風真世のトップお披露目公演であり、第77期生春野寿美礼朝海ひかる花總まり安蘭けい成瀬こうきら)の初舞台公演。
※改訂:植田によると「王妃役に似つかわしいスターがいなかった」ことなどから、初めてフェルゼンとマリー・アントワネットが登場しない、大胆なカットが施された。尚、新人公演においては、涼風アントワネット、天海祐希フェルゼンが1場面サプライズ出演している。
※新曲:新曲「我が名はオスカル」が書き下ろされた。
天海はまだ研5(入団5年目)だったが、アンドレとジェローデルの2役を演じ、この公演から2番手スターとして活躍する。そのため組内のバランスをとるため、より上級生の久世星佳演じるアランの描き込みも増やされている。アランの妹ディアンヌは娘役トップに抜擢された麻乃佳世で、オスカルにパリの庶民生活を見せるなど、兄と共に重要な役どころとなった。[30]
「20世紀最後のベルばら」という宣伝文句がついた。
7月6日に皇太子徳仁親王が台覧。
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2001年(ベルサイユのばら2001)

宙組と星組が東西同時上演。ポスターを横尾忠則が担当。

宙組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
4月6日 - 5月14日(新人公演:4月24日):宝塚大劇場[32]、6月29日 - 8月12日(新人公演:7月10日):東京宝塚劇場[33]
形式名は「三井住友VISAシアター 宝塚グランドロマン[32][33]」。2部36場[32][33]
第87期生龍真咲早霧せいなら)の初舞台公演。
ある日の宝塚大劇場2回公演時、1回目公演後に大階段を繋ぐワイヤーにトラブルの為、第2回開演時間が大幅にずれ込む事態が発生したことがあり、その際、第一幕の歌が本来『御覧なさい 御覧なさい…』の部分を『ごめんなさい ごめんなさい…』と変更するなどのファンサービスが行われた。なお、応急修理の為に業者が呼ばれ、修理される待ち時間の間、支配人が2回舞台に上がり謝罪を述べている。
宝塚における特別出演(専科)[32]城火呂絵星里未子未沙のえる箙かおる彩輝直
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星組(オスカルとアンドレ編)
3月30日 - 5月6日(新人公演:4月10日):東京宝塚劇場[33]、8月17日 - 10月1日(新人公演:9月4日):宝塚大劇場[34]
形式名は「三井住友VISAシアター 宝塚グランドロマン[34][33]」。2部32場[34][33]
トップコンビ稔幸星奈優里の退団公演。
通算観客動員356万4千人を記録した。
東京公演における特別出演(専科)[33]高ひづる汝鳥伶邦なつき一樹千尋一原けい香寿たつき湖月わたる樹里咲穂
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2006年

マリー・アントワネット生誕250年を記念して再演。

星組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
1月1日 - 2月6日[36](新人公演:1月17日[37]):宝塚大劇場、2月17日 - 4月2日[36](新人公演:2月28日[37]):東京宝塚劇場
形式名は「マリー・アントワネット生誕250周年記念 三井住友VISAシアター 宝塚グランドロマン[36]」。2部35場[36]
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雪組(オスカル編)
2月10日 - 3月20日[36](新人公演:2月28日[37]):宝塚大劇場、4月7日 - 5月21日[36](新人公演:4月18日[37]):東京宝塚劇場
形式名は「マリー・アントワネット生誕250周年記念 三井住友VISAシアター 宝塚グランドロマン[36]」。2部33場[36]
雪組大劇場公演中の2006年3月17日に通算観客動員400万人を記録した。
貴城けい水夏希はアンドレ役で出演以外は、貴城はジェローデル、水はアラン役で出演した。
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2013年 - 2014年

宝塚歌劇100周年を記念して再演。

2013年・月組(オスカルとアンドレ編)
1月1日 - 2月4日[42](新人公演:1月22日[43]):宝塚大劇場、2月15日 - 3月24日[42](新人公演:2月28日[43]):東京宝塚劇場
形式名は「三井住友VISAカード シアター 宝塚グランドロマン[42]」。2幕32場[42]
本作の上演史上初めて、主演(オスカル役)がダブルキャストとなった公演(前公演『ロミオとジュリエット』に続く主役の役替わり公演第2弾でもあった)。トップスター龍真咲と準トップスター明日海りおがオスカル役、アンドレ役を役替わりで演じた。
大劇場公演では、花組の蘭寿とむ、雪組の壮一帆がアンドレ役で特別出演したのをはじめ、上記の主演ダブルキャストも含めて、9つの役、総勢11人の出演者を期間ごとに4パターンの配役で入れ替えて公演する、本作上演史上最大規模の役替わりを呼び物のひとつとした。
東京での3月21日(木)13時30分からの公演で、1974年初演以来の観劇者が450万人に到達[44]
演出面でも更なる新機軸が練られ、「地上では結ばれない身分違いの恋の、天上での成就」を描き出すラストシーン、オスカルとアンドレの馬車の場面において、クレーンを用いて馬車を本当に空中へ飛ばす新演出が導入された(従来、馬車を用いる場合は回り舞台の上に銀馬車を置き、回り舞台を回転させることで馬車の走行を演出していた)。この場面について、製作発表会にて植田(脚本・演出)は「これは大きな見せ場だと思います」と自信を示したが、その言葉通り、光り輝く馬車(馬車にも曳いている馬にもLED電飾が全面に配された)に乗った二人が、クレーンにより舞台から大きくせり出し、一階観客の頭上を大きく左右に動き、二階席の客へは今にも手が届かんばかりに迫る、という外見面でも演出面でも極めて派手な見せ場、またかなりのファンサービスともなり、観客の喝采をさらった(退場の際には、馬車を吊り上げたままクレーンが後退した後、カーテンが閉まる形で退場した)[45]
「龍オスカル」の全パターンとなる、明日海・蘭寿・壮演じる3人のアンドレとの各共演公演はそれぞれ全編収録DVDが発売された[注 4]。「明日海オスカル」もスカイステージが全編収録し、同局で放映している[注 5]
さらに見る 開演時間 (日本標準時), オスカル ...
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2013年・雪組(フェルゼン編)
4月19日 - 5月27日[42](新人公演:5月7日[43]): 宝塚大劇場、6月14日 - 7月21日[42](新人公演:6月27日[43]):東京宝塚劇場
形式名は「三井住友VISAカード シアター 宝塚グランドロマン[42]」。2幕34場[42]
壮一帆愛加あゆのトップコンビお披露目公演であり、第99期生の初舞台公演。
大劇場公演では、月組の龍真咲、星組の柚希礼音がアンドレ役で、宙組の凰稀かなめがオスカル役で特別出演した。
“積極的に行動するフェルゼン像”を描くため、再び台本、演出を改訂、オーストリア女王マリア・テレジア(アントワネットの母親)、マロングラッセ婆や(アンドレの祖母、オスカルの乳母)など登場しなくなった脇役も多い。物語終盤、スウェーデンに帰国していたフェルゼンがアントワネットの危機を知り、救出への決意を胸に、スウェーデン国王グスタフ3世に謁見するシーンはカットされ、代わりにスウェーデン・デンマーク国境において、フェルゼン・ジェローデルの二人組が国境警備隊と大立ち回りを演ずる、迫力あるシーンに差し替わった。
この公演では、先述の特別出演を含めて3パターンの役替りがあっただけでなく、役替りに応じ、それぞれ異なる公演内容が準備された。プロローグで凰稀・柚希・龍の各特別出演の時のみ、「愛あればこそ」を歌う場面が追加されており、凰稀オスカルと柚希アンドレ出演時は二重唱、龍アンドレ出演時は龍のソロとなる。2幕では、特別出演時のみ、アンドレの「白ばらのひと」ソロと、アンドレの毒殺未遂の場面が挿入され、特にアンドレの見せ場が増やされている。一方2幕の通常公演時のみ、フェルゼンの「愛に帰れ」ソロと、先述のフェルゼンたちの国境警備隊との立ち回り場面を設定して、こちらはフェルゼンに焦点を当てた仕上がりとなった。フィナーレでも特別出演時のみ1場面増えており、かなり細やかな描き分けが全体になされている。
3パターンすべてを全編収録した実況DVDがそれぞれ発売された。


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2014年・宙組(オスカル編)
5月2日 - 6月2日[48](新人公演:5月20日[49]):宝塚大劇場、6月20日 - 7月27日[50](新人公演:7月3日[51]):東京宝塚劇場
形式名は「三井住友VISAカード シアター 宝塚グランドロマン[48][50]」。2幕41場[48][50]
6月27日の東京宝塚劇場公演中に観客動員500万人を突破[1]

2024年

宝塚歌劇110周年を記念して再演[52]

2024年・雪組(フェルゼン編)
7月6日 - 8月11日(新人公演:8月1日):宝塚大劇場、8月31日 - 10月13日(新人公演:9月12日):東京宝塚劇場
形式名は「宝塚グランドロマン」。
トップスター彩風咲奈の退団公演[53]。彩風は2013年の雪組新人公演でも主演を務めている[53]

その他の劇場での公演

1976年・花組(アンドレとオスカル)[54] 地方公演
4月15日 -4月26日[54] 仙台、山形、酒田、秋田、清水、浜松、四日市、伊勢
4月30日 - 5月7日[54] 福岡市民会館
5月8日 - 5月23日[54] 広島、福山、岡山、倉敷、福井、高岡、金沢、糸魚川、新潟、長岡
6月10日 – 6月27日[54] 前橋、水戸、平、盛岡、八戸、太田、浦和、藤沢、徳島、丸亀、高松、松山
6月30日 - 7月11日[54] 名古屋・中日劇場
足掛け3ヶ月に及ぶ長期地方公演(当時は全国ツアーの事をこう呼んでいた)。それほど人気があったともいえる。しかし、糸魚川の公演では地元の行事と日程が重なったため、観客が4人しかいなかった。
1977年・花組『ファンタジー・ベルサイユのばら』[54] 地方公演
10月8日 – 10月31日[54] 釧路、帯広、札幌、小樽、苫小牧、室蘭、花巻、仙台、千葉、川越、那覇
併演は『うつしよ桜』。
アンドレとオスカル編を短くして、1時間半の作品にしたもの。
1978年・雪組『宝塚ファンタジー・ベルサイユのばら』[54] 地方公演
9月1日 – 9月24日[54] 刈谷、一宮、和歌山、広島、福山、下関、小倉、防府、佐賀、佐世保、長崎、熊本、大分、久留米、武雄
アンドレとオスカル編に、東京月組の脚本等を取り込んで改訂した作品。
1979年・花組(アンドレとオスカル)[55] 地方公演
9月7日 - 10月1日[55] 一宮、春日井、伊勢、各務原、豊橋、磐田、静岡、横浜、東松山、習志野、八王子、柏、福島、仙台、盛岡、札幌、帯広、芦別、旭川
脚本は1978年の雪組全ツの時のもの。松あきらがオスカルを演じ、フェルゼン、アンドレと男役の主要3役すべてを演じたことで「ベルばら三冠王」と呼ばれた。
1980年・雪組(アンドレとオスカル)[55] 地方公演
5月1日 - 5月5日[55] 福岡市民会館
5月10日 - 5月25日[55] 倉敷、奈良、広島、宇部、菊池、甘木、島原、本渡、八代、宮崎、都城、鹿児島
脚本は1978年雪組全ツの改訂版。汀夏子の最後の地方公演となったため、全日程をついてまわった熱狂的なファンもいた。
1991年・雪組(オスカル・アンドレ編) 地方公演
4月13日 - 4月29日[29]
公演場所[29]
  • 4月13日 瀬戸
  • 4月14日 一宮
  • 4月16日 川口
  • 4月17日 相模大野
  • 4月19日 前橋
  • 4月20日 市川
  • 4月21日 多摩
  • 4月23日 静岡
  • 4月24日 浜北
  • 4月25日 豊川
  • 4月26日 大津
  • 4月28日 呉
  • 4月29日 広島
5月1日 - 5日 福岡市民会館 [29]
形式名は「宝塚ロマン[29]」。
杜けあきがオスカル役、鮎ゆうきがマリー・アントワネット役と本公演とは配役と脚本を変更して上演された。
1991年・花組(フェルゼン編) 地方公演
9月8日 - 9月30日[29]
公演場所[29]
  • 9月8日 高松
  • 9月10日 守山
  • 9月11日 半田
  • 9月12日 江南
  • 9月13日 松阪
  • 9月15日 町田
  • 9月16日 川口
  • 9月17日 調布
  • 9月18日 相模大野
  • 9月20日 多賀城、
  • 9月21、22日 仙台
  • 9月24日 函館
  • 9月26日 帯広
  • 9月28、29日 札幌
  • 9月30日 旭川
形式名は「宝塚ロマン[29]」。
大浦みずきひびき美都の退団がすでに発表されており、最後の全国ツアーとなった。
2005年・星組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
9月24日 - 10月21日 全国ツアー
11月11日(金) - 11月13日(日) 慶熙(きょんひ)大学平和の殿堂」(大韓民国ソウル特別市東大門区回基洞1番地)
日韓国交正常化40周年記念「日韓友情年2005 宝塚歌劇韓国公演」
併演はショー『ソウル・オブ・シバ!!』。
全国ツアーの公演場所
2006年・雪組(オスカル編)
7月1日 - 28日 全国ツアー
当時2番手男役の水夏希が主演を務めた。
全国ツアーの公演場所
2014年・雪組(オスカルとアンドレ編)
3月7日 - 26日 全国ツアー[56]
形式名は「宝塚グランドロマン[56]」。2幕30場[56]
2013年の「フェルゼン編」でオスカル役を演じた2番手男役の早霧せいなが主演を務めた。
さらに見る 公演日, 公演場所 ...
2014年・花組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
6月12日 - 6月29日 中日劇場 [57]
形式名は「宝塚グランドロマン[57]」。2幕31場[57]
明日海りおのトップお披露目公演。
2014年・宙組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
8月29日 - 9月21日 全国ツアー[58]
形式名は「宝塚グランドロマン[58]」。2幕33場[58]
2番手男役の朝夏まなとが主演を務めた。
さらに見る 公演日, 公演場所 ...
2015年・花組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
7月10日 - 7月16日 梅田芸術劇場メインホール
8月8日(土) - 8月16日(日) 国立中正文化中心台北国家戯劇院
宝塚歌劇団台湾公演の第二弾。
併演はレヴューロマン『宝塚幻想曲』。
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出演者一覧

要約
視点

※氏名の後ろの「()」の文字はその年当時の所属組

2006年・星組 宝塚・東京

※月組・雪組出演者以外は宝塚[59]・東京[60]共通。月組・雪組は宝塚のみ。花風みらいは、宝塚では1月19日より全日程、東京では全日程休演。

  • 大空祐飛(月組、宝塚のみ、1月27日(金)-2月6日(月))
  • 霧矢大夢(月組、宝塚のみ、1月12日(木)-1月19日(木))
  • 朝海ひかる(雪組、宝塚のみ、1月1日(日)-1月3日(火))
  • 貴城けい(雪組、宝塚のみ、1月5日(木)-1月10日(火))
  • 水夏希(雪組、宝塚のみ、1月20日(金)-1月26日(木))

2006年・雪組 宝塚・東京

※花組・月組・星組出演者以外は宝塚[61]・東京[62]共通。

  • 春野寿美礼(花組、宝塚のみ、2月20日(月)-2月23日(木))
  • 瀬奈じゅん(月組、宝塚のみ、3月6日(月)-3月12日(日))
  • 湖月わたる(星組、宝塚のみ、2月10日(金)-2月12日(日))
  • 安蘭けい(星組、東京のみ、4月25日(火)-5月5日(金))

2006年・雪組 全国ツアー

  • 雛月乙葉[63]
  • 希世みらの[63]
  • 矢代鴻(専科)[63]
  • 星原美沙緒(専科)[63]
  • 一樹千尋(専科)[63]

2013年・月組 宝塚・東京

※花組・雪組出演者以外は宝塚[64]・東京[65]共通。

2013年・雪組 宝塚・東京

※月組・星組・宙組出演者以外は宝塚[67]・東京[68]共通。

  • 瀬南海はや

99期生A班(東京のみ)

2014年・雪組 全国ツアー

2014年・花組 中日劇場

[70]

2014年・宙組 宝塚・東京

[71]

2014年・宙組 全国ツアー

[72]

  • 寿つかさ
  • 大海亜呼
  • 朝夏まなと
  • 七海ひろき
  • 風羽玲亜
  • 澄輝さやと
  • 綾瀬あきな
  • 星吹彩翔
  • 瀬音リサ
  • 蒼羽りく
  • 結乃かなり
  • 風馬翔
  • 花咲あいり
  • 桜音れい
  • 愛咲まりあ
  • 実咲凜音
  • 実羚淳
  • 涼華まや
  • 真みや涼子
  • 和希そら
  • 瀬戸花まり
  • 里咲しぐれ
  • 秋奈るい
  • 朝日奈蒼
  • 瑠風輝
  • 小春乃さよ
  • 穂稀せり
  • 風輝駿
  • 華妃まいあ
  • 澄風なぎ

2024年・雪組 宝塚・東京

[73]

110期生B班

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配役一覧

要約
視点

青背景が主演男役、ピンク背景が主演娘役を示す。1970年代にはスターシステムが確立していないため、ダブルトップスター制がある。不明点は空白とする。

本公演

さらに見る 1974年月組, 1975年花組 ...
さらに見る 1989年雪組, 1989年星組 ...
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さらに見る 2013年月組, 2013年雪組 ...
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新人公演

※1976年月組は役替り公演とする。

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その他の劇場での公演

さらに見る 1976年花組, 1977年花組 ...
さらに見る 1991年雪組, 1991年花組 ...
さらに見る 2014年雪組, 2014年花組 ...
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スタッフ

要約
視点

1974年

宝塚大劇場公演

1975年

宝塚大劇場公演(花・雪組共通)

1976年

宝塚大劇場公演
  • 演出[15][82]:長谷川一夫
  • 脚本[15][82]・演出[15][82]:植田紳爾
  • 音楽[82]:寺田瀧雄、入江薫、河崎恒夫
  • 作曲[82]:平尾昌晃
  • 音楽指揮[82]:野村陽児
  • 振付[82]:岡正躬、喜多弘
  • 擬闘[82]:二階堂武
  • 装置[82]:渡辺正男
  • 衣装[82]:小西松茂
  • 照明[83]:今井直次
  • 音響[83]:松永浩志
  • 小道具[83]:上田特市、万波一重
  • 効果[83]:中田正廣
  • 演出補[83]:阿古健
  • 演出助手[83]:村上信夫、三木章雄
  • 制作[83]:秋尾久、野田浜之助、大西八洲雄

1989年・雪組

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

1989年・星組

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本・演出:植田紳爾[85]
  • 演出:阿古健[85]
  • 音楽:寺田瀧雄[21]、入江薫[21]、河崎恒夫[21]、平尾昌晃[21]
  • 音楽指揮:岡田良機(宝塚)[21]野村陽児(宝塚)[21]北沢達雄(東京)[22]、伊沢一郎(東京)[22]
  • 振付:喜多弘[21]、羽山紀代美[21]、黒瀧月紀夫[21]、尚すみれ[21]、岡正躬[21]
  • 装置:渡辺正男[21]
  • 衣装:静間潮太郎[21]、小西松茂[21]
  • 照明:今井直次[21]
  • 音響監督:松永浩志[21]
  • 小道具:上田特市[21]
  • 効果:扇野信夫[21]
  • 演技指導:美吉左久子[21]、榛名由梨[21]
  • 演出助手:谷正純[21]、木村信司[21]、中村一徳[21]
  • 舞台進行:高階弘之[21]西原徳充[21]
  • 製作担当:長谷山太刀夫(東京)[22]
  • 制作:橋本雅夫[21]小林公一[21]
  • 協賛:VISAグループ9社[21]
  • 後援:関西テレビ放送 株式会社[21]

1990年

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本・演出:植田紳爾[86]
  • 演出:阿古健[86]
  • 作曲:寺田瀧雄[24]、入江薫[24]、平尾昌晃[24]
  • 編曲:河崎恒夫[24]
  • 音楽指揮:野村陽児(宝塚)[24]、岡田良機(宝塚)[24]、北沢達雄(東京)[22]
  • 振付:喜多弘[24]、羽山紀代美[24]、黒瀧月紀夫[24]、尚すみれ[24]、岡正躬[24]
  • 装置:渡辺正男[24]
  • 衣装:静間潮太郎[24]、小西松茂[24]
  • 照明:今井直次[24]
  • 音響監督:松永浩志[24]
  • 小道具:上田特市[24]
  • 効果:扇野信夫[24]
  • 演技指導:美吉左久子、榛名由梨[24]
  • 演出助手:谷正純、木村信司[24]、中村一徳[24]
  • 舞台進行:高階弘之、西原徳充[24]
  • 製作担当:横山美二(東京)[22]
  • 制作:高野賢一[24]

1991年・月組

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本・演出:植田紳爾[87]
  • 作曲・編曲:寺田瀧雄[26]、入江薫[26]吉田優子[26]
  • 編曲:平尾昌晃[26]
  • 音楽指揮:野村陽児(宝塚)[26]、岡田良機(宝塚)[26]清川知巳(東京)[28]
  • 振付:喜多弘、羽山紀代美[26]、黒瀧月紀夫[26]、尚すみれ[26]、岡正躬[26]
  • 殺陣:菅原俊夫[26]
  • 装置:渡辺正男[26]
  • 衣装:静間潮太郎[26]、小西松茂[26]
  • 照明:今井直次[26]
  • 音響監督:松永浩志[26]
  • 小道具:上田特市[26]
  • 効果:川ノ上智洋[26]
  • 演技指導:美吉左久子[26]、榛名由梨[26]
  • 演出助手:谷正純[26]、木村信司[26]、中村一徳[26]
  • 舞台進行:恵見和弘、西原徳充[26]
  • 製作担当:津村健二(東京)[28]
  • 制作:飯島健[26]

2001年・宙組

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本・演出:植田紳爾[88]
  • 演出:谷正純[88]
  • 作曲・編曲:吉田優子[32]、寺田瀧雄[32]、入江薫[32]、河崎恒夫[32]
  • 作曲:平尾昌晃[32]
  • 編曲:鞍富真一[32]
  • 音楽指揮:岡田良機(宝塚)[32]御﨑惠(宝塚)[32]、清川知巳(東京)[33]
  • 振付:羽山紀代美[32]、尚すみれ[32]若央りさ[32]、岡正躬[32]、喜多弘[32]、黒瀧月紀夫[32]
  • 装置:関谷敏昭、渡辺正男[32]
  • 衣装:任田幾英、小西松茂[32]
  • 照明:今井直次[32]
  • 音響:加門清利[32]
  • 小道具:伊集院徹也石橋清利[32]
  • 効果:宮廻みさよ(宝塚)[32]扇野信夫(東京)[33]
  • 演技指導:美吉左久子[32]、榛名由梨[32]
  • 歌唱指導:楊淑美[32]
  • 演出補:中村一徳[32]
  • 演出助手:荻田浩一[32]稲葉太地[32]
  • 装置補:広森守[32]
  • 舞台進行:西原徳充(宝塚)[32]森田智広[32]
  • 舞台美術製作:株式会社 宝塚舞台[32]
  • 演奏:宝塚歌劇オーケストラ(宝塚)[32]
  • 演奏コーディネート:ダット・ミュージック(東京)[33]
  • 制作:北野靖[32]
  • 協賛:三井住友VISAカード[32]
  • 特別協賛:VISAジャパングループ[32]
  • 演出担当(新人公演):中村一徳[88]

2001年・星組

※氏名の後ろに「東京」、「宝塚」の文字がなければ両劇場共通。

2006年

※氏名の後ろに特に文字がなければ星組・雪組の両公演共通のスタッフ。

宝塚大劇場公演
  • 脚本[90]・演出[90]:植田紳爾
  • 演出[90]:谷正純
  • 作曲[90]・編曲[90]:吉田優子、寺田瀧雄、入江薫、鞍富真一、河崎恒夫
  • 作曲[90]:平尾昌晃
  • 音楽指揮[90]:岡田良機(星組の第1部)、佐々田愛一郎(星組の第2部)、矢部豊(雪組の第1部)、御﨑惠(雪組の第2部)
  • 振付[90]:羽山紀代美、尚すみれ、若央りさ、岡正躬、喜多弘
  • 擬闘[90]菅原俊夫(雪組)
  • 装置[90]:関谷敏昭、渡辺正男
  • 衣装[90]:任田幾英、小西松茂
  • 照明[91]:今井直次
  • 音響[91]:加門清邦
  • 小道具[91]伊集院徹也(星組)、石橋清利(雪組)、藤田昌代
  • 効果[91]:株式会社 宝塚舞台
  • 演技指導[91]:美吉左久子
  • 歌唱指導[91]:楊淑美
  • 演出助手[91]生田大和(雪組)、鈴木圭原田諒
  • 舞台進行[91]森田智広(星組)、斎藤栄作(星組)、安藤邦博(星組)、片岡麻理恵(雪組)、香取克英(雪組)、濱野文宏(雪組)
  • 制作[91]:村上信夫(星組)、樫原幸英(雪組)
  • 作曲[91]マリー・アントワネット
  • 後援[91]フランス大使館
  • 特別協賛[91]:VISAジャパングループ

2013年・月組

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本[92]・演出[92]:植田紳爾
  • 演出[92]鈴木圭
  • 作曲[92]・編曲[92]:吉田優子、寺田瀧雄,、入江薫、鞍富真一、河崎恒夫
  • 作曲[92]:平尾昌晃
  • 音楽指揮(1幕)[92]:佐々田愛一郎(宝塚)、伊澤一郎(東京)
  • 音楽指揮(2幕)[92]大谷木靖(宝塚)、清川知己(東京)
  • 振付[92]:羽山紀代美、尚すみれ、若央りさ、岡正躬、喜多弘
  • 装置[92]:関谷敏昭
  • 衣装[92]:任田幾英、小西松茂
  • 照明[92]:今井直次
  • 音響[92]:加門清邦
  • 演技指導[92]:榛名由梨
  • 歌唱指導[92]:楊淑美
  • 制作・著作:宝塚歌劇団[92]
  • 主催[92]阪急電鉄 株式会社
  • 特別協賛[92]:三井住友VISAカード

2013年・雪組

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本[93]・演出[93]:植田紳爾
  • 演出[93]:鈴木圭
  • 作曲[93]・編曲[93]:吉田優子、寺田瀧雄、入江薫、鞍富真一、河崎恒夫
  • 作曲[93]:平尾昌晃
  • 音楽指揮[93]塩田明弘(宝塚)
  • 音楽指揮(1幕)[93]:伊澤一郎(東京)
  • 音楽指揮(2幕)[93]:清川知己(東京)
  • 振付[93]:羽山紀代美、尚すみれ、若央りさ、岡正躬、喜多弘
  • 装置[93]:関谷敏昭
  • 衣装[93]:任田幾英、小西松茂
  • 照明[93]:今井直次
  • 音響[93]:加門清邦
  • 演技指導[93]:榛名由梨
  • 歌唱指導[93]:楊淑美
  • 映像[93]奥秀太郎
  • 制作・著作:宝塚歌劇団[93]
  • 主催[93]:阪急電鉄 株式会社
  • 特別協賛[93]:三井住友VISAカードグループ

2014年・宙組 宝塚・東京

※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。

  • 脚本・演出:植田紳爾[94]
  • 演出:谷正純[48]
  • 作曲・編曲:吉田優子[48]、寺田瀧雄[48]、入江薫[48]、鞍富真一[48]、河崎恒夫[48]
  • 作曲:平尾昌晃[48]
  • 音楽指揮(1幕):大谷木靖(宝塚)[48]、伊澤一郎(東京)[50]
  • 音楽指揮(2幕):清川知己(宝塚・東京共通)[94]
  • 振付:羽山紀代美[48]、尚すみれ[48]、若央りさ[48]、岡正躬[48]、喜多弘[48]
  • 擬闘:菅原俊夫[48]
  • 装置:関谷敏昭[48]
  • 衣装:任田幾英[48]、小西松茂[48]
  • 照明:今井直次[48]
  • 音響:加門清邦[48]
  • 小道具:松木久尚[48]
  • 演技指導:榛名由梨[48]
  • 歌唱指導:楊淑美[48]
  • 演出助手:生田大和[48]谷貴矢[48]
  • 衣装補:加藤真美[48]
  • 舞台進行(1幕):押川麻衣[48]森田智広[48]
  • 舞台進行(2幕):安達徳仁[48]
  • 舞台美術製作:株式会社 宝塚舞台[48]
  • 演奏:宝塚歌劇オーケストラ(宝塚)[48]
  • 演奏コーディネート:内藤音楽事務所(東京)[50]
  • 制作:谷風宗範[48]
  • 制作補:三木規靖[48]
  • 制作・著作:宝塚歌劇団[48]
  • 主催:阪急電鉄 株式会社[48]
  • 特別協賛:三井住友VISAカード[48]
  • 演出担当(新人公演):生田大和[95]
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逸話

植田にとっても本作が初めての洋物であった。ただ植田は日本や東洋を舞台にした作品に専念してきた間も、洋物進出が認められた時に備えて、題材を選んではおり、歌劇団がロココ朝の舞台美術に関し、日本でも有数のノウハウを蓄積してきたことを聞いていたことから、「ロココの女王」として知られたマリー=アントワネットを中心にした作品なら、質の高い舞台美術に支えられた上演ができると、本作を知る前からアントワネットを自作で取り上げる腹案はあったといい、本作の舞台化はその願いの結実でもあった[5]

1975年花組版で植田は最終的にオスカル役に安奈を推したが、安奈が初役で観客動員力としては未知数だったのに対し、共にトップスターをつとめる榛名は、月組初演で評判をとったオスカル役経験者であり、榛名が花組版でオスカルを再演するとなれば、初演を観劇してくれた相当数のファンたちを再観劇に呼び込める可能性もあり、興行としては榛名の方が「計算できる」として、“榛名オスカル”を推す意見も根強かった。東京宝塚劇場を管理する東宝の担当者も、興行的観点から“榛名オスカル”を当然視していたようで、植田の“安奈オスカル”の意向を伝え聞くと、植田を呼び出して「商売を全くわかっていない」と配役変更を迫ってきたという。呼びつけられた上でのこのような仕打ちに、植田は全く納得がいかず「でしたら、東京公演はなしで結構です」と、啖呵を切って帰ったと述懐している[5]

1975年花組版で“安奈オスカル”を植田が決断した際、植田は榛名と二人だけで話し合い「今回もオスカルを演ったら、(君は)オスカルのイメージが抜けなくなる。アンドレに回って演技の幅をぜひ広げてほしい」と話して説得したという。植田は当時を回想した際「榛名も残念だったと思うが、納得してくれた」と榛名に感謝している[5]

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その他

  • 2003年ダイハツ・ムーヴのCMで、絵麻緒ゆうがオスカル、香寿たつきがアンドレにそれぞれ扮して、CMに出演[96]。どちらもトップスターを経て、宝塚から退団していた2人の、テレビCMでの共演であった。絵麻緒ゆうは1989年公演「フェルゼン・アントワネット編」新人公演でのオスカル役、香寿たつきは2001年公演「ベルサイユのばら2001」本公演でのアンドレ役、という正真正銘の本物である。
  • 1989年に、ベルサイユのばらを歌舞伎役者が演じるという試みが歌舞伎役者の恒例イベント『俳優祭』にて行われている。タイトルは『佛国宮殿薔薇譚(べるさいゆばらのよばなし)』とされ、構成・演出は三代目市川猿之助が行い、さらに美術には宝塚より朝倉摂が招かれるなど、本格的な作品作りが行われた[97]。歌舞伎役者にも宝塚歌劇のファンが多く、とりわけオスカルを演じた五代目中村児太郎は当時トップを務めていた涼風真世らタカラジェンヌと交友が深く、この公演の前に稽古をつけてもらったといわれる(詳細は九代目中村福助の項を参照)。
  • 宝塚歌劇団出身の元女優・美雪花代は、競走馬の生産牧場である三城牧場の経営者だった夫と結婚するも膵臓がんで死別、夫の遺志により牧場経営を引き継いだ際、当作品に由来する「ヴェルサイユファーム」に社名を改めた[98]
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脚注

関連

参考文献

外部リンク

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