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中条信慶
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中条 信慶(ちゅうじょう のぶよし)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。参議・樋口信孝の子。通称は左京。
略歴
樋口信孝の次男として誕生。生母は広橋兼勝の娘。
明暦3年(1657年)10月3日、4代将軍・徳川家綱に召し出されて、御家人に列し、寄合に所属した。後に旗本となった。徳川家綱の命令により、祖母の姓である中条姓を称した。なお、実兄の樋口信康の息子・康満も中条を称し尾張徳川家に仕え[2]、実弟信久も中条を称した。
姉妹2人は大奥に出仕している。長女・梅は徳川家光に仕えた上級女中であり、その関係で次男・信慶は幕府に召しだされたようである。
万治元年(1658年)3月1日蔵米300俵を賜った。元禄10年(1697年)7月26日蔵米を改めて下野国都賀郡500石を与えられた。元禄14年(1701年)9月18日隠居し、長男・信実に家督を譲った。正徳2年(1712年)4月27日、死去。享年79。
系譜
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脚注
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