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明暦

日本の元号 (1655–1658) ウィキペディアから

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明暦めいれき旧字体󠄁は、日本元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1658年までの期間を指す。この時代の天皇後西天皇江戸幕府将軍は徳川家綱

改元

出典

漢書』律暦志の「大法九章、而五紀明歴法」と『後漢書』の「黄帝造歴、歴与暦同作」から。

明暦年間の出来事

  • 元年
    • 土佐国にて京都の茶屋から広まった前帯の流行が到来し、以降の女性の着物は、城下町は前帯、山間僻地は後帯に分かれる[2]
    • 野中兼山によって、土佐国に生息していなかった鯉が1万匹放流されるが、鯰との共生関係を把握できておらず、失敗する[3]
  • 2年7月 稲葉伊勢守殺害事件
  • 3年 野中兼山によって、それまで土佐国に生息していなかった鯰1万匹が鯉1万匹と共に放流され、定着する[4]
  • 3年1月 明暦の大火

誕生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 明暦元年(乙未), 一月※ ...
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脚注

参考文献

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