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久保禎三
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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久保 禎三(くぼ ていぞう、1894年(明治27年)1月5日[1] - 1968年(昭和43年)8月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1894年(明治27年)に群馬県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期[2]、東京帝国大学土木工学科卒業[3]。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍工兵大佐進級と同時に陸軍大学校教官に就任し[3]、1939年(昭和14年)8月に陸地測量部三角科長に転じた[3]。1940年(昭和15年)12月に鉄道第6連隊長(第14軍)に就任し[2][3][4]、フィリピン攻略戦に出征した[2]。
1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し[3]、8月10日に関東軍築城部長に就任した[1]。1944年(昭和19年)7月15日に防衛総司令部築城部長に転じ[2]、1945年(昭和20年)1月20日に第4野戦鉄道司令官(支那派遣軍・第6方面軍)に就任し[2]、中国戦線に出動[2]。同年4月30日に陸軍中将に進級し[3]、漢口で終戦を迎えた[2]。
脚注
参考文献
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