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乙部館
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乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部にあった日本の城。現在は宅地や畑地になっている。
歴史
かつての陸奥国志和郡乙部村に所在し、鎌倉時代の弘安3年(1280年)に平泉中尊寺の経蔵別当・永栄が、弟子・朝賢に譲与した所領の一部に村名が見られ、南北朝時代の康永3年(1344年)にも再確認されている。
鎌倉時代から室町時代にかけて、志和郡東部には、河村氏の一党が居住している。稗貫郡の新堀や大迫に通じる要地で中世の宿駅があり、北の不来方郷(盛岡)にも通じ、北上川と乙部川の合流点にあった。
築城年代は不明であるが、古館は天正年間(1573年-1592年)の頃、斯波氏の家臣・乙部兵庫の拠ったとこで、同16年、同氏族滅亡後、南部藩家臣・福士右衛門尉の居城となった。
脚注
参考資料
関連項目
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