トップQs
タイムライン
チャット
視点
紫波郡
岩手県の郡 ウィキペディアから
Remove ads


人口58,603人、面積306.3km²、人口密度191人/km²。(2025年7月1日、推計人口)
以下の2町を含む。盛岡都市圏の南部に位置し、人口は増加傾向にある。
郡域
明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町に盛岡市の一部(上飯岡、下飯岡、飯岡新田、永井、津志田、津志田西、津志田町、三本柳、東見前以南)を加えた区域にあたる。
歴史
要約
視点
律令期
811年(弘仁2年)斯波(後の紫波)・和我・稗縫の「志波三郡」が成立、「胆沢三郡(胆沢・江刺・磐井)」とともに「律令期の六郡」が成立する。812年(弘仁3年)に徳丹城が築かれ政治的機能が移り、志波三郡以北の統帥権も「鎮守府領六郡」として集約される。10世紀、斯波郡の領域が北遷拡大し、岩手郡が斯波郡から分離独立した。一方、磐井郡は国府多賀城領に編入され、岩手・志和・稗抜・和賀・江刺・伊沢の「奥六郡」が成立した[1]。
鎌倉時代足利家氏が斯波郡を所領し、家氏の嫡系子孫が斯波氏を称した。 興国2年/暦応4年(1341年)陸奥の南朝南部氏などが岩手・斯波二郡を平げ、葛西氏等と連合して国府を攻めようとした。斯波家兼が奥州に入部し四管領並立を制すると、同族の高水寺斯波氏が南朝側河村氏を次第に圧迫し、応永3年(1396年)河村秀基はその傘下に下ったという[2]。16世紀半ばに高水寺斯波氏は隆盛を極めるが、のちに南部氏の圧力により逼迫を余儀なくされた。
天正年間に高水寺斯波氏の斯波詮直(最後の斯波御所)が北上川遊覧の折、川底の赤石に陽が射し、紫色に輝く川波を瑞兆として「けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て」と詠み、古代以来「斯波郡」と書いていたものを「紫波郡」に改めたという。また、元来の名は志賀理和気神社(全国最北の式内社)から「志和」と書かれた、という説がある。(この赤石を御神石として引き上げ祀ったので、この神社は後世「赤石神社」とも呼ばれている。)
奥六郡最北となる「岩手郡」の建郡以前に志波城が置かれ、後にこの地が岩手郡となったように、「岩手郡」も元は「志波(斯波・志和)郡」である。斯波氏の旧居城であった高水寺城は天正19年に郡山城と改称され、ほぼ同じ頃に郡名も改められた。
江戸初期において当郡全域が盛岡藩の米穀供給地とされたため、北上川西岸の新田開発が盛んに行われた[3]。
八戸藩分立によって、寛文5年(1665年)土館村、稲藤村、片寄村、平沢村の一部(上平沢村)の4村が、飛地領として編成され、同藩紫波通に属し、単に志和とも書かれていた。
近代以降の沿革
幕末時点では陸奥国に所属した。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点の支配は以下の通り。(75村)
町村制以降の沿革

- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町14村)
- 日詰町 ← 日詰新田、桜町村[字上川原・下川原](現・紫波町)
- 古館村 ← 中島村、陣ヶ岡村、二日町新田、高水寺村[字三枚橋を除く](現・紫波町)
- 徳田村 ← 東徳田村、西徳田村、間野々村、北郡山村、土橋村、高田村、藤沢村、高水寺村[字三枚橋](現・矢巾町)
- 見前村 ← 東見前村、西見前村、津志田村、三本柳村(現・盛岡市)
- 飯岡村 ← 上飯岡村、下飯岡村、羽場村、飯岡新田、湯沢村、永井村(現・盛岡市)
- 煙山村 ← 広宮沢村、煙山村、赤林村、又兵衛新田、南矢幅村、北矢幅村、上矢次村、下矢次村(現・矢巾町)
- 不動村 ← 岩清水村、室岡村、太田村、白沢村、北伝法寺村、和味村(現・矢巾町)
- 水分村 ← 上松本村、下松本村、小屋敷村、吉水村、南伝法寺村、宮手村、升沢村(現・紫波町)
- 志和村 ← 土館村、片寄村、上平沢村、稲藤村(現・紫波町)
- 赤石村 ← 北日詰村、南日詰村、犬淵村、平沢村、桜町村[字上川原・下川原を除く](現・紫波町)
- 彦部村 ← 星山村、大巻村、彦部村、犬吠森村[字沼端・沼口・間木沢・境](現・紫波町)
- 佐比内村(単独村制。現・紫波町)
- 赤沢村 ← 赤沢村、船久保村、紫野村、遠山村、北田村、山屋村(現・紫波町)
- 長岡村 ← 東長岡村、西長岡村、江柄村、北沢村、栃内村、草刈村、犬吠森村[字後田・小路口・岩ノ沢・沼田・横田・盆成](現・紫波町)
- 乙部村 ← 乙部村、手代森村、黒川村、大ヶ生村(現・盛岡市)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「岩手紫波地方事務所」が盛岡市に設置され、岩手郡とともに管轄。
- 昭和30年(1955年)
- 昭和41年(1966年)5月1日 - 矢巾村が町制施行して矢巾町となる。(2町1村)
- 平成4年(1992年)4月1日 - 都南村が盛岡市に編入。(2町)
変遷表
自治体の変遷
Remove ads
行政
- 紫波郡長
- 北岩手・南岩手・紫波郡長
特記なき場合『岩手郡誌』による[5]。
- 紫波郡長
特記なき場合『紫波郡誌』による[6]。
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads