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二条広子
日本の江戸時代の公家。二条斉信と徳川従子の五女。有栖川宮幟仁親王の妃。 ウィキペディアから
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幟仁親王妃広子(たかひとしんのうひ ひろこ、文政2年11月10日(1819年12月26日) - 明治8年(1875年)7月9日)は、江戸時代の公家で有栖川宮幟仁親王の妃。二条斉信五女。別名、岸君。院号は順恭院。
文政2年(1819年)に二条斉信と正室徳川従子の五女として生まれる。
嘉永元年(1848年)に有栖川宮幟仁親王に嫁ぎ[1]、佐々祐子と幟仁親王との間に生まれた有栖川宮熾仁親王らを養育する。1875年に薨去。
また、熾仁親王が有栖川宮家当主を継いでからは有栖川宮大宮御息所と呼ばれた。
一族
脚注
出典
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