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二階堂行有

鎌倉時代前期から中期の武士 ウィキペディアから

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二階堂 行有(にかいどう ゆきあり)は、鎌倉時代前期から中期かけての武士鎌倉幕府評定衆

概要 凡例二階堂行有, 時代 ...

略歴

承久2年(1220年)、二階堂行義の次男として誕生。

吾妻鏡の記述によれば、正嘉2年(1258年)までには検非違使となっていた。4代将軍・藤原頼経、5代将軍・藤原頼嗣、6代将軍・宗尊親王ら、京都から推戴された将軍に近習として仕え活躍し、鶴岡八幡宮の参詣、方違放生会などに供奉人として参与した。頼嗣が将軍職を更迭され、京都へ帰還する際には路次奉行を勤めた。武芸にも堪能で、流鏑馬の射手や勝長寺院の寺門守護を担当した。

文永2年(1265年)に引付衆、文永7年(1270年)には評定衆に列せられる[2]。また、同年剃髪して道証と号した。文永9年(1272年)には安堵奉行に任命されている[3]

正応5年(1292年)、死去。

脚注

出典

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