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二階堂行有
鎌倉時代前期から中期の武士 ウィキペディアから
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二階堂 行有(にかいどう ゆきあり)は、鎌倉時代前期から中期かけての武士。鎌倉幕府評定衆。
略歴
吾妻鏡の記述によれば、正嘉2年(1258年)までには検非違使となっていた。4代将軍・藤原頼経、5代将軍・藤原頼嗣、6代将軍・宗尊親王ら、京都から推戴された将軍に近習として仕え活躍し、鶴岡八幡宮の参詣、方違、放生会などに供奉人として参与した。頼嗣が将軍職を更迭され、京都へ帰還する際には路次奉行を勤めた。武芸にも堪能で、流鏑馬の射手や勝長寺院の寺門守護を担当した。
文永2年(1265年)に引付衆、文永7年(1270年)には評定衆に列せられる[2]。また、同年剃髪して道証と号した。文永9年(1272年)には安堵奉行に任命されている[3]。
脚注
出典
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