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二階堂行藤
鎌倉時代中期の武士。使宣旨、左衛門尉、出羽守、従五位上。鎌倉幕府 引付衆、政所執事、東使、越訴奉行、引付頭人。勅撰集『玉葉和歌集』に2首入集。岐阜城(井口の山館)館主。子に ウィキペディアから
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二階堂 行藤(にかいどう ゆきふじ)は、鎌倉時代中期の武士。鎌倉幕府政所執事。
略歴
弘安5年(1282年)引付衆[3]となり、11月使宣旨・左衛門尉を受ける[4]。正応元年(1288年)出羽守となり、永仁元年(1293年)10月罷免された二階堂行貞に代わって政所執事となる[5]。永仁2年(1294年)2月、東使として京へ上る[6]。 永仁6年(1298年)越訴奉行[7]、 正安元年(1299年)引付頭人[8]と北条得宗が権力を握る中、昇進を重ねる。正安3年(1301年)東使として上京し[9]、持明院統の後伏見天皇に譲位を奏上した[9]。結果、幕府の圧力を受けた天皇は大覚寺統の後二条天皇に譲位した。
脚注
参考文献
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