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五月一秀
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五月 一秀(さつき いっしゅう、本名:敷田 秀治[1]、1951年3月6日[1] - )は、福岡県遠賀郡香月町(現北九州市八幡西区)[2] 出身の浪曲師。公益社団法人浪曲親友協会所属。定紋は『中陰花菱』。唯一の九州在住のプロ浪曲師である[2]。
経歴
1973年8月五月一朗に入門「五月 秀若」を名乗る。9月木馬亭で初高座、演目は「父帰る」。1975年7月から休業。師匠のもとを無断で去り、九州で会社員となっていた[3]。
2011年から大阪で素人として浪曲教室に通うが講師役の天中軒雲月 (5代目)に認められ、一朗門下だった過去を告白。雲月の仲立ちで約40年ぶりに一朗にわびを入れ、「五月 一秀」として浪曲界に復帰[3]。
脚注
外部リンク
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