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井出正陳
江戸時代初期の武士 ウィキペディアから
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出自
略歴
『寛永諸家系図伝』には、正陳について以下のようにある[原 1]。出生は武蔵国で、寛永9年(1632年)13歳の時に徳川秀忠に拝謁し、同11年(1634年)には徳川家光に拝謁する。同13年(1636年)に書院番となったとある。
『寛政重修諸家譜』巻第千百(以下『寛政譜』)には『寛永諸家系図伝』以外の事柄として、以下のようにある。寛永18年(1641年)に家督を継ぐ。のち書院番を辞し、 元禄11年(1698年)9月に享年79で死去したとある。
正陳は伊豆国君沢郡土肥村・玉川村・長伏村および田方郡間宮村を知行地としており[1]、計300石であった[2]。
家督は子の正府が継いだ。『御家人分限帳』に「三百石 伊豆 甚五左衛門子 井出左門 亥四十七」とあるように[3]、正府(井出左門)に伊豆国の采地300石が引き継がれている。
脚注
参考文献
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