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井出正成

江戸時代初期の武士 ウィキペディアから

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井出 正成(いで まさなり)は、江戸時代初期の武士

概要 凡例井出正成, 時代 ...

出自

出生は伊豆国で、井出正次の三男である。井出家は同族で分家を多く創立しているが、正成は正次の直系にあたる。

略歴

寛永諸家系図伝』には、正成について以下のようにある[原 1]慶長13年(1608年)13歳の時に徳川家康に拝謁し、その後徳川秀忠徳川家光に仕えた。慶長19年(1614年)に成瀬正武の組に属し、大坂冬の陣および大坂夏の陣に供奉する。寛永18年(1641年)3月29日に46歳で没したとある。

寛政重修諸家譜』巻第千百(以下『寛政譜』)には、『寛永諸家系図伝』以外の事柄として、以下のようにある。徳川家康に拝謁後に徳川秀忠に奉仕し、小姓を務める。慶長14年(1609年)には家督を継ぐ。同19年(1614年)に小姓組の番士となり、大坂冬の陣・大坂夏の陣に供奉し、寛永2年(1625年)12月には采地の御朱印を賜う。後に番を辞し、小普請となる。墓所については「目白台の蓮華寺に葬る。のち代々葬地とす」とある。

先代の正次は徳川家康朱印状により伊豆国君沢郡に采地300石を宛行われているが[1]、『寛政譜』に「采地の御朱印を賜う」とあるように正成も徳川秀忠朱印状により同地を引き継いでいる[2]。その朱印状は井出の本家に代々伝えられており、後世江戸幕府旗本御家人の古文書調査をした際、正成より六代後の井出正英が写を幕府に提出している[注釈 1]

家督は子の正陳が継いだ。

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脚注

参考文献

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