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伊勢大輔
平安時代中期の日本の女流歌人。藤原彰子女房 ウィキペディアから
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伊勢大輔(いせのたいふ / いせのおおすけ、永祚元年(989年)? - 康平3年(1060年)?)は、平安時代中期の日本の女流歌人。大中臣輔親の娘。高階成順に嫁し、康資王母・筑前乳母・源兼俊母など優れた歌人を生んだ。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

経歴
寛弘5年(1008年)ごろに一条天皇の中宮・上東門院藤原彰子に仕え、和泉式部・紫式部などと親交し、晩年には白河天皇の傅育の任にあたった。康平3年(1060年)までの生存が確認されている。
逸話
『百人一首』にも採られて有名な「いにしへの」の歌は、奈良から献上された八重桜を受け取る役目を、紫式部が務める予定のところ、新参女房の伊勢大輔に譲ったことがきっかけとなり、更に藤原道長の奨めで即座に詠んだ和歌が、上東門院をはじめとする人々の賞賛を受けたものである[1]。
作品
- 『伊勢大輔集』
百人一首
一条院御時 ならの八重桜を人の奉りけるを そのおり御前に侍けれは
— 『詞花和歌集』 巻第一 春
そのはなをたいにて うたよめとおほせことありけれは 伊勢大輔
いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬる哉
奈良の八重桜を内にもてまいりたるを うへ御覧して歌とおほせことありけれは 伊勢大輔
— 『金葉和歌集』 別巻 三奏本にありて底本になき歌
いにしへのならのみやこのやへさくら けふこゝのへににほひぬるかな
脚注
関連項目
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