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伊号第十三潜水艦
日本の一等潜水艦 ウィキペディアから
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伊号第十三潜水艦(いごうだいじゅうさんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の1番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では伊九型潜水艦の5番艦[2]。
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艦歴
マル追計画の潜水艦甲、第620号艦型の2番艦、仮称艦名第621号艦として計画[3]。建造中の1943年後期に、建造隻数が削減された伊四百型潜水艦を補うため設計変更された[4]。
1943年2月4日川崎重工業神戸造船所で起工。10月1日伊号第十三潜水艦と命名[5]、伊十型潜水艦の4番艦に定められ[6]、本籍を佐世保鎮守府と仮定[7]。11月30日進水。1944年12月16日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ[8]、第六艦隊付属に編入、神戸発呉へ。その後は呉にて搭乗員の訓練などに従事。12月30日伊号第400潜水艦と第一潜水隊を新編[9]。
光作戦
1945年5月28、29日に鎮海入港、燃料補給。7月4日彩雲2機を大湊にて搭載、同月11日大湊発トラック島へ向け出港。本来の晴嵐搭載の任務ではなく、トラックへの輸送作戦だった。出港後、マリアナ東方海面を南下して、7月20日頃トラック入港の予定だったが、8月1日までにトラックへ入港しないことから喪失と認定された。米側記録によると7月16日に米護衛空母「アンツィオ」(アンジオ)の艦載機および米ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦「ローレンス・C・テイラー」の攻撃により小笠原北東方の、北緯34度28分 東経150度55分(米軍記録より)の海中で撃沈された。艦長の大橋勝夫中佐以下140名[10]全員が戦死認定。9月15日に除籍。
潜水艦長
- 艤装員長
- 潜水艦長
脚注
参考文献
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