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伊東長とし
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伊東 長𫡰(いとう ながとし、伊東長。「とし」の表記は下記の特記事項参照)は、備中国岡田藩10代(最後の)藩主。第8代藩主・伊東長寛の十五男・伊東長生の次男。
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略歴
万延元年(1860年)12月18日、従兄で第9代藩主の長裕が死去したため、その養子となって家督を継いだ。文久元年(1861年)10月1日、将軍徳川家茂に拝謁した。同年12月16日、従五位下・播磨守に叙任した。
慶応4年(1868年)1月23日、上洛し、新政府支持の姿勢を示す。戊辰戦争では岡山藩と共に新政府軍に与して、幕府軍に与した備中松山藩の討伐を担当する。明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により岡田藩知事となる。明治4年(1871年)7月、廃藩置県により藩知事を免官となり、東京に移った。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。
明治33年(1900年)12月21日に死去した。享年57。
系譜
脚注
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