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伊百六十二型潜水艦

日本の潜水艦の艦級 ウィキペディアから

伊百六十二型潜水艦
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伊百六十二型潜水艦(いひゃくろくじゅうにがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦の艦級。海大IV型かいおおよんがた[要出典])とも。同型艦3隻。事故沈没1隻、戦没1隻、戦後に処分された艦1隻。

さらに見る 伊162型潜水艦(海大4型), 艦級概観 ...
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概要

1923年(大正12年)度計画で建造された12隻の潜水艦のうち最後の3隻。計画番号S281929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)にかけて竣工した。

前型(海大3型b)との最大の相違は機関をズルツァー式ディーゼルからドイツ・MAN社が設計したラウシェンバッハ式ディーゼルに変更したことである。その他船体の形状に変更はない。ただ大きさが若干(全長で3mほど)小さくなり、魚雷発射管は艦首4門艦尾2門となり2門の減少、魚雷も2本減少し14本となった。また水中速力が0.5ノット速くなり8.5ノットとなった。

戦歴

1941年(昭和16年)に伊61が訓練中に沈没した。残った2艦は太平洋戦争中に主に通商破壊に従事、伊164は1942年(昭和17年)に戦没した。伊162は1944年(昭和19年)以降は内地で練習艦となり終戦まで残存、戦後海没処分された。

同型艦

1942年(昭和17年)5月20日に改称、艦番に100を加えた。

潜水隊の変遷

伊162型は同型艦3隻からなるため、3隻で1個潜水隊を編成した。佐世保鎮守府に配備されたため、佐鎮の固有番号を与えられて第29潜水隊となった。

第二十九潜水隊

昭和5年4月24日に佐世保鎮守府籍の伊61・伊62の2隻で編成。その後遅れて竣工した伊64を編入した。昭和16年1月8日に伊61が事故により失われ、残った2隻は太平洋戦争に参加し、マレー作戦に参加した後、主にインド洋で活動したが、戦争初期の昭和17年3月10日に解隊された。

1930年(昭和5年)4月24日:伊61、伊62で編成[1][2]。第29潜水隊司令松野省三中佐。第一艦隊第1潜水戦隊。
1930年(昭和5年)8月30日:竣工した伊64を編入[1][3]
1931年(昭和6年)11月2日:第29潜水隊司令渡部徳四郎中佐。第二艦隊第2潜水戦隊。
1932年(昭和7年)12月1日:第29潜水隊司令佐藤勉中佐。
1934年(昭和9年)3月20日:伊64が予備艦となる[3]
1934年(昭和9年)11月1日:第29潜水隊司令中邑元司中佐。
1935年(昭和10年)10月21日:伊62が予備艦となる[2]
1935年(昭和10年)11月1日:伊61が予備艦となる[4]
1935年(昭和10年)11月15日:第29潜水隊司令原田覚中佐。
1937年(昭和12年)12月1日:第29潜水隊司令三好輝彦中佐。
1938年(昭和13年)12月15日:第29潜水隊司令加藤与四郎中佐。
1939年(昭和14年)3月1日:伊64が予備艦となる[3]
1939年(昭和14年)11月15日:伊62が予備艦となる[2]
1939年(昭和14年)12月23日:第29潜水隊司令久米幾次中佐。
1940年(昭和15年)3月20日:佐世保鎮守府第三予備艦。
1940年(昭和15年)11月15日:連合艦隊第5潜水戦隊に編入。
1941年(昭和16年)10月1日:第29潜水隊司令玉木留次郎中佐。
1941年(昭和16年)10月2日:壱岐水道で伊61事故沈没(久米司令殉職)[1]
1941年(昭和16年)10月31日:伊61(書類上在籍)は第四予備艦となり第29潜水隊から除かれる。1942年(昭和17年)4月1日除籍。
1942年(昭和17年)3月10日:解隊。伊62は第28潜水隊に[1]、伊64は第30潜水隊にそれぞれ編入[1]。第28潜水隊については第28潜水隊の項で、第30潜水隊については第30潜水隊の項で記述する。
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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