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伊藤栄一
日本の指揮者 ウィキペディアから
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伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月1日[1] - 2020年(令和2年)2月24日[2])は、日本の指揮者。音楽教育者。ピアニスト。東京学芸大学名誉教授、創価大学名誉教授、東京芸術大学講師。一部に名前の表記を榮一[3][4]としているものがある。
経歴
東京市出身[1]。1950年(昭和25年)東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)本科器楽科卒。
指揮法を渡辺暁雄、金子登、クルト・ヴェス、ピアノを水谷達夫、作曲を高田三郎に師事[5]。
1951年(昭和26年)、金子登主催の東京オペラ協会によるプッチーニ『トゥランドット』、続くヨハン・シュトラウス2世『こうもり』(共に本邦初演)の公演の際に副指揮を担当[6]。1952年(昭和27年)二期会設立と共に二期会合唱団初代常任指揮者としてモーツァルト『フィガロの結婚』、『魔笛』、ビゼー『カルメン』、ヴェルディ『椿姫』等[6]数多くの演奏会やオペラを指揮。放送等にも出演。その間、ブリテン『五つの花の歌』、メノッティ『アマールと夜の訪問者』等、現代曲の本邦初演を行っている[6]。また、東京コラリアーズ、ルナ・アルモニコ、東京室内合唱団等の指揮者としても活躍した。1966年(昭和41年)田中利光『四季』を指揮して芸術祭賞受賞[5]。小林秀雄『前奏曲』、尾形敏幸『叙情小曲集』の初演も行っている[6]。
プロ合唱団ばかりでなく、1954年(昭和29年)5月[7]青山学院大学グリーンハーモニー合唱団創立時[8]から常任指揮者として1980年(昭和55年)まで26回の定期演奏会を担当し団の発展に貢献、その後も名誉指揮者として1990年(平成2年)のOB合唱団設立から2005年(平成17年)まで15年間、OB合唱団の指揮者を務めた[9]ほか、オール青山の『メサイア』等を指揮している[6]。また、東京学芸大学混声合唱団においては、1967年(昭和42年)第5回定期演奏会から指揮者に就任、その後、名誉指揮者として2007年(平成19年)の第45回定期演奏会の「OB・OG合同ステージ」まで指揮を務めている[7]。1973年(昭和48年)には、伊藤の音楽を愛するメンバーにより「東京カントライ」が設立され、2018年(平成30年)2月17日第43回定期演奏会「ラスト・コンサート」まで指揮者を務めた[10]。オーケストラ指揮者としても東京ゾリステンコンチェルトシリーズに出演する等、数多くの経歴を持ち、カメラータ・アカデミカ室内管弦楽団の音楽監督も務めていた[5]。
ピアニストとしてもジョージ・ガーシュイン作曲『ラプソディー・イン・ブルー』山本正人指揮・東京吹奏楽団・第7回定期演奏会(1965年(昭和40年)10月8日:日比谷公会堂)等のソリストを務めている。
また、コンコーネ等の音楽教材LPへのピアノ伴奏録音がある。
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音楽教育者として
音楽教育者として優れ、1957年(昭和32年)より東京芸術大学講師として、指揮法、ソルフェージュ、合唱、オペラ実習等を担当。
1966年(昭和41年)より東京学芸大学教授、創価大学教授、福島大学、福岡教育大学講師を歴任[6]。
多くの優れた門下生を世に送り出した。
のちに世界的指揮者となった若杉弘を、東京芸術大学の声楽科から指揮者への道へと導いたのは、伊藤と畑中良輔である。
他に(Web上で個人名を確認できる範囲に限っても)以下の人物が伊藤の門下生であり、多士済々な後進を育成した。
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栄典
死去
脚注・出典
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