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佐々木正蔵

日本の政治家 (1855-1936) ウィキペディアから

佐々木正蔵
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佐々木 正蔵(ささき しょうぞう、安政2年10月21日1855年11月30日) - 昭和11年(1936年2月7日)は、明治・大正期に活動した治水家政治家衆議院議員)。

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佐々木正蔵

生涯

筑後国御井郡光行村(現・福岡県小郡市)の佐藤家に生まれる。のちに佐々木家の養子となり、上東鯵坂村の庄屋となる。

下西鯵坂村の庄屋であった田中政義・新吾親子とともに、たびたび氾濫を起こしていた筑後川の治水のための調査を進める。明治14年(1881年)、田中政義・新吾親子とともに福岡県会議員に当選、県会で筑後川改修の必要を説いた。また、上京して政府との交渉もおこなっている。

明治23年(1890年)の第1回衆議院議員総選挙では、福岡県第四区(御井郡・竹野郡など)から立候補して衆議院議員に当選、大成会に属した。以後10回の当選を重ね[1]国民協会憲政会などに所属して治水政策の重要性を訴えた。

佐々木正蔵らが取り組んだ筑後川改修事業は、明治20年(1887年)4月に着手され、明治36年(1903年)4月に竣工した。治水工事に尽力した功績により、大正5年(1916年)には勲三等に叙せられている。昭和11年(1936年)没、享年82。

治水事業を記念して佐々木正蔵・田中新吾の銅像も建てられたが、第二次世界大戦時の金属回収によって失われた。銅像の台座のみが久留米百年公園に移されて残されている。

佐々木正蔵関係の文書は小郡市史編さん室によって調査され、『小郡市史』資料編に収録されている。ことに、明治24年(1891年)10月の第一議会開会前後に記した書簡の草稿集「備忘録」は、「吏党」政治家の動向を示す一次史料として研究者から注目されている[2]

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栄典

脚注

参考文献

関連項目

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