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佐久間長利
日本の江戸時代中期の武士・俳人。江戸幕府旗本。江戸幕府御家人佐久間長恒の子で、長嗣系佐久間氏3代当主。俳人としては中川乙由に師事 ウィキペディアから
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佐久間 長利(さくま ながとし)は、江戸時代中期の旗本、俳人。柳居と号する。『五色墨』運動の中心的人物。
来歴
父は幕府御家人だった佐久間長恒、母は小川長左衛門某の娘[1]。
享保中頃まで水間沾徳・沾州に繋がる俳人として活躍し、沾徳追善集『白字録』編集に協力した沾州門の重鎮だった[1]。1731年(享保16年)『五色墨』刊行後は稲津祇空と親密になり、沾州から離脱し、祇空の死後は太田巴静・横井也有らと交流し、やがて中川乙由を信奉して乙由門下として活躍する[1]。1740年(元文5年)尾張獅子門俳人と親交を結び、同年冬には門人の秋瓜と筑波周辺を旅行して蕪村と交流[1]。
1741年(寛保元年)に養子の長孝が小十人に列した後、俳諧活動に専念した[1]。1748年(延享5年)63歳で没する。墓所は浅草の東国寺。
門人
脚注
参考文献
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