トップQs
タイムライン
チャット
視点
佐味宮守
ウィキペディアから
Remove ads
佐味 宮守(さみ の みやもり)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・越後守。
経歴
左大臣・橘諸兄の家司を務めていたが、天平勝宝7歳(755年)11月に主人の諸兄が酒席で聖武上皇に対して無礼な発言があり、謀反の気配がある旨を密告した。聖武上皇はこの密告に取り合わず、諸兄が咎められることはなかったが、諸兄はこの経緯を知り翌天平勝宝8歳(756年)2月に大臣を辞して政界を退いた[1]。天平勝宝9歳(757年)橘奈良麻呂の乱後、かつての密告を賞されて、従八位上から十一階昇進して従五位下に叙爵された。
天平宝字3年(759年)左京亮に任ぜられたのち、天平宝字7年(763年)安房守に転じると、神護景雲2年(768年)越後守と、淳仁朝から称徳朝にかけて地方官を務めた。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads