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佐立七次郎
建築家 (1857-1922) ウィキペディアから
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佐立 七次郎(さたち しちじろう、旧字体:佐立 七次󠄁郞)は、明治時代に活躍した建築家。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。工部大学校造家学科第一期卒業生。
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経歴
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1857年(安政3年)讃岐藩士の子として高松城下(現、高松市)に生まれる。
- 1873年(明治6年)8月 工学寮に入学する
- 1879年(明治12年)11月 工部大学校造家学科を卒業(同期に辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊がいる)。工部省技手となり、営繕局勤務上野博物館建築掛を命じられる
- 1880年(明治13年)10月 鉱山局勤務となり、秋田県院内鉱山建築掛を命じられる
- 1882年(明治15年)4月 会計検査院建築掛を命じられ、設計・監督を担当する
- 1883年(明治16年)7月 海軍省に転任し、横須賀鎮守府造船所在勤建築課員営繕掛となり、学舎教授掛兼務を命じられる
- 1884年(明治17年)5月 依願免官となり、藤田組(現フジタ)に入る
- 1887年(明治20年)2月 逓信省に入り、逓信技師に任じられる。工学士の称号を認可される。
- 1888年(明治21年)郵便及び電信局舎建築法研究のため、欧米へ出張し、翌年帰国。
- 1891年(明治24年)10月 逓信省を辞し、建築設計事務所を開設する
- 1897年(明治30年)頃 日本郵船株式会社の建築顧問となる。
- 1912年(大正元年)12月 退社し、自宅で静養する
- 1922年(大正11年)11月 死去(享年67)。遺言により、遺体は慶應病院において解剖される
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主な作品


家族・親族
子の佐立忠雄(1886年 - 1952年)も建築家。作家・詩人の金子光晴の義祖父にあたる。
参考文献
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関連項目
外部リンク
- 日本建築学会所蔵写真データベース
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