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佐竹義忠
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佐竹 義忠(さたけ よしただ)は、江戸時代中期の大名。出羽国岩崎藩の第3代藩主。佐竹壱岐守家3代当主。通称は多宮。官位は従五位下・壱岐守、播磨守。
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略歴
第2代藩主・佐竹義道の三男。母は初代藩主・佐竹義長の娘・明鏡院。幼名は富之助。
長兄の義明が本家の藩主となり、次兄の義敏は早世したため、宝暦13年(1763年)3月29日に義道の嫡子になった。同年4月15日、10代将軍・徳川家治に御目見した。同年5月14日、父の隠居により跡を継いだ。同年12月9日、従五位下・壱岐守に叙任された。隠居後、播磨守に遷任された。安永9年(1780年)11月7日、養嗣子の義祇(義敏の子で甥にあたる)に家督を譲って隠居し、天明7年(1787年)9月24日に死去した。
系譜
父母
側室
- 川井氏
- 朝比奈氏
子女
- 佐竹義恭(長男) 生母は川井氏
- 春 - 青木一貞正室、生母は朝比奈氏
養子
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