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佐藤忠義

日本の経営者 ウィキペディアから

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佐藤 忠義(さとう ただよし、1917年大正6年〉12月11日[1] - 2020年令和2年〉9月5日)は、日本の経営者四国電力社長を務めた。

来歴・人物

徳島県[2]三好郡三加茂町(現東みよし町)出身[1]新潟高等学校を経て[3]1941年東京帝国大学経済学部を卒業し、1942年1月に三菱商事に入社[2]短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校[3]。同年5月に卒業[3]那智に配属[3]1942年7月、乗組となる[3]1943年11月、海軍主計大尉に昇進[3]。同年12月、第二出水海軍航空隊に転じ、さらに第七二一海軍航空隊で勤務し、富高基地(現日向市)で終戦を迎えた[3]

1948年2月に日本発送電での勤務を経て、1951年5月に四国電力に転じ、1970年5月に取締役に就任し、1974年11月に常務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格[2]1988年6月に会長に就任し、1993年6月に相談役に就任[2]

1989年から1993年までに四国経済連合会会長を務めた[4]

1985年4月に藍綬褒章を受章し、1994年4月に勲二等旭日重光章を受章[2]

2020年9月5日老衰のために死去[4]102歳没

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脚注

参考文献

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