トップQs
タイムライン
チャット
視点
倭島英二
昭和時代の日本の外交官 ウィキペディアから
Remove ads
経歴
鳥取県出身。東京帝国大学法学部在学中の1928年(昭和3年)、外交官試験に合格。翌年外務省入省。米国、中華民国、興亜院、本省政務局勤務などを経て、1942年(昭和17年)11月、中華民国駐在大使館の1等書記官で赴任。1945年(昭和20年)2月、大臣官房会計課長。同年8月より終戦連絡中央事務局第4部長・名古屋事務局長等を務めた後、1948年(昭和23年)1月より本省管理局長として引揚げ推進のためGHQなどとの折衝に尽力した。
アジア局の復活に伴い1951年(昭和26年)12月、同局長。 1953年(昭和28年)11月、特命全権公使に任命され、同年12月より日本・インドネシア国交樹立、賠償、その他懸案事項の処理交渉を行う。この経緯から、1957年(昭和32年)には昭和天皇にインドネシアの国情を進講する機会を持った[2]。 1955年(昭和30年)4月には日本政府代表代理としてバンドン会議に出席。1957年6月、駐ベルギー大使となり、その間1959年(昭和34年)10月よりEECの日本政府初の正式大使を勤める。1960年(昭和35年)11月より駐アラブ連合大使に任命され、1965年(昭和40年)12月に退官。
Remove ads
栄典
著作
- 『日本外交の刷新』鹿島研究所出版会、1965年
- 『平和と開発のためのアジア国家連合』鹿島研究所出版会、1971年
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads