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光劇場
岡山県笠岡市の映画館 ウィキペディアから
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光劇場(ひかりげきじょう)は、かつて岡山県笠岡市北木島町7887-52にあった映画館。北木光映劇、ひかり劇場、光映画劇場ともいう[1]。
昭和20年代末頃に開館し、1967年(昭和42年)頃に閉館した[2]。経営者は赤瀬光。2015年(平成27年)以降には光劇場友の会によって見学施設となっており、2019年(令和元年)には日本遺産「日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」の構成文化財の一つに認定された。
歴史
北木島の繁栄
北木島は笠岡諸島で最大の面積と人口を有する離島であり[1]、特に近代以降には花崗岩の北木石の採石業で栄えた。北木島における採石業の最盛期は1950年代であり、1955年(昭和30年)の国勢調査によると北木島は5,889人の人口を有していた上に、島内には120か所もの丁場(採石場)が存在した[1]。
光劇場

映画黄金期の北木島には4館の映画館があり、島北部の金風呂地区には光劇場とOK劇場(港劇場)の2館があった[1]。笠岡市は光劇場の開館を昭和20年代末としている[2]。1965年(昭和40年)の『映画便覧』(映画館名簿)によると経営者は赤瀬光であり、木造2階建で定員300の映画館だった[3]。光劇場の名称は経営者の名前に由来している[1]。赤瀬は醤油商などを経て映画館経営に着手した人物であり、1970年代初頭から1990年代中頃には笠岡市議会議員も務めていた[1]。
開館当初の客席は長椅子だったが、後に一般的な1人掛け椅子に交換された[1]。営業は一週間のうち土日の2日間程度であり、小林旭や赤木圭一郎らが主演する日活作品などを上映していた[4]。館内ではポップコーンではなくいかり豆が食されていた[1]。笠岡市は光劇場の閉館を1967年(昭和42年)頃としている[2]。『笠岡シネマ風土記』著者の世良利和は、光劇場の廃業は1960年代前半であると推測している[1]。もとは旧道側に入口があった。
- 長椅子
- 1人掛け椅子
- 次週映画上映案内
保存と活用
2014年(平成26年)には建物の修復再生プロジェクト「北木ノースデザインプロジェクト」が行われ、プロジェクト参加者によって光劇場が“発見”された[5]。プロジェクトで製作された映像の上映場所とするために、2015年(平成27年)4月20日には光劇場復活友の会(後の光劇場友の会)が結成され[6]、地域活性化の拠点としての利用が開始された[1]。光劇場の館内には木製椅子や[2]2台の映写機が[7]現存している。
2019年(令和元年)には「日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」が日本遺産に選定され、「旧映画館『光劇場』」が構成文化財の一つに認定された[8]。2021年(令和3年)5月10日、産業遺産学会によって推薦産業遺産に認定された[9][10]。この際には光劇場友の会が功労賞を受賞している[10]。2023年(令和5年)、縦5メートル×横9メートルのスクリーンの張替えが行われ[10]、8月13日には北木島に伝わる盆踊りを記録したドキュメンタリー作品『鳶と烏』が上映された[11]。
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現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 北木島金風呂港から徒歩5分[2]
脚注
参考文献
外部リンク
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