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児玉九一

日本の内務官僚 ウィキペディアから

児玉九一
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児玉 九一(こだま きゅういち / くいち、1893年8月3日[1] - 1960年5月23日[2])は、日本の内務官僚県知事厚生次官中国地方総監

概要 生年月日, 出生地 ...
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経歴

山口県出身。陸軍大将児玉源太郎の七男として生まれる。

1912年東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。第一高等学校を経て、1919年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。1919年、内務省に入り地方局属となる。

以後、静岡県志太郡長、静岡県警視、内務事務官復興局事務官、内閣総理大臣秘書官鉄道省事務官、内務書記官神社局総務課長、兼造神宮使庁主事、大臣官房会計課長などを歴任。

1936年9月、島根県知事となり、以後、内務省神社局長兼造神宮副使、福岡県知事愛知県知事厚生次官東京都次長などを歴任。

1945年8月、中国地方総監・大塚惟精原爆投下により被爆死したため、その後任に就任。1945年10月11日から同月27日までの16日間、広島県知事を兼任した。同年10月31日地方総監府の廃止により失職。その後、中国地方行政事務局長[3]新宿御苑保存協会副会長などを務めた。

内務省神社局長時代は明治神宮外苑競技場の改築案(未遂)に、戦後の明治神宮外苑管理部長時代は国立競技場建設に、それぞれ周囲の景観を守るよう訴えた[4]

1960年5月23日死去。享年66。

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栄典

親族

著作

  • 『神社行政』自治行政叢書 第1巻、常盤書房、1934年。

脚注

参考文献

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