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入谷朝顔まつり

入谷鬼子母神とその界隈で開催される朝顔祭り ウィキペディアから

入谷朝顔まつり
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入谷朝顔まつり(いりやあさがおまつり)は、毎年、七夕の季節に東京都台東区下谷の入谷鬼子母神(真源寺)とその界隈で開催される朝顔祭り。

概要 入谷朝顔まつり, イベントの種類 ...

概要

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江戸幕末期の入谷朝顔市。歌川広重
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明治時代の入谷朝顔市

入谷鬼子母神(いりやきしもじん)の境内とその付近の歩道で開催される朝顔祭りで、市の期間中にお参りすると朝顔の造花がついた子育お守りが貰えるという[1]。およそ12万の朝顔が並べられる。江戸時代の後期から行われていた[2]が、1948年に復活し、現在は復活から60年以上の歴史がある[3]

入谷の朝顔市」 嘉永から安政期(1848 - 60)にかけて大ブームとなった朝顔は、明治に入るといったんは衰えたが、明治15年(1882)頃から大正初めにかけて、入谷田圃[4]といわれた一帯に住んでいた植木屋(成田屋留次郎という人物で、突然変異を掛け合わせた「変化咲き朝顔」を数多く作り、南画家の田崎草雲が挿絵を担当した木版図譜『三都一朝』を出版したり、「花合わせ会」を各地で開催するなど、朝顔ブームの仕掛人であった[5])によってひろく栽培されるようになった。坂本村入谷といわれた一帯には、丸新、松本、高野、植松、入又、入十、入久、新亀などの植木屋が軒を並べ、大輪のものや変り種を栽培し人気を集めた。全盛期の24年から25年(1891 - 92)頃には、早朝から往来止めとなるほどの賑わいを見せていた。30年代(1897 - 1906)には、団子坂の菊人形をまねて、朝顔人形が登場したが、通俗的で悪評だった。「入谷みやげ」「植」と書かれた紙片には、ひざまずいて鉢入りの朝顔をみる、着物姿の若い女性が描かれている。「入谷の朝皃は昔も今も有名なる観物なりしが近頃は俗極る人形を造り観覧に興を添るに至りしかは益々盛りに繁盛す」と記載あり。清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「入谷の朝顔市」より抜粋[6]

1913年、東京市は都市化の進展などのために中止し、1948年に復活した。第2次大戦後の再開以来、開催が中止されたのは東日本大震災のために1回、新型コロナウイルス感染拡大防止のために2回、あわせて3回。

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沿革

会場

  • 東京都台東区下谷1-12-16 入谷鬼子母神(真源寺)とその界隈

主催

  • 入谷観光連盟・入谷朝顔実行委員会[3]

期間

  • 毎年 7月初旬の3日間

2015年の場合、7月6日・7日・8日)[3]

アクセス

入谷朝顔まつりを舞台とする作品

脚注

関連項目

外部リンク

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