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八木一男

日本の政治家 (1911-1976) ウィキペディアから

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八木 一男(やぎ かずお、1911年6月7日 - 1976年9月11日)は、日本政治家部落解放運動家。元部落解放同盟中央執行委員。父は元衆議院議員八木逸郎

概要 生年月日, 出生地 ...

略歴

1911年奈良市に生まれる[1]東京帝国大学経済学部卒業とともに社会運動に参加。戦後、日本社会党に入党[1]1952年第25回衆議院議員総選挙奈良県全県区より立候補し当選。8期つとめた[1]。社会党内の「部落解放特別委員会」設立に尽力し、党の部落解放政策要綱を作成した。

1959年部落解放審議会設置法案を国会に提出し同和対策審議会を設置させた[1]

1965年8月11日「同和対策審議会」答申[2]が出されたとき、八木一男はとても感激した様子だったという[3]

1975年の奈良県知事選挙に立候補したため、告示日の同年1月5日付で公職選挙法の規定により衆議院議員を退職(自動失職)。選挙では落選している[4]

1976年9月11日、死去。65歳没。同月21日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、旭日重光章を受章する[5]。墓所は多磨霊園(21-1-6)。

葬儀は社会党奈良県本部、部落解放同盟奈良県連、奈良総評の合同葬として同月29日、奈良県公会堂で行われた[6]

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人物

出典

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