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内田修平
日本の囲碁棋士 ウィキペディアから
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内田 修平(うちだ しゅうへい、1989年9月8日 - )は、日本の囲碁棋士。八段。山梨県甲府市出身、大淵盛人九段門下。日本棋院東京本院所属。2005年、15歳で入段。主な実績に、新人王戦優勝(2008年)、若鯉戦優勝2回(2009年・2011年)、名人戦リーグ2期など。
経歴
1994年、5歳より囲碁を始める[1]。1998年、甲府市立北新小学校3年で、少年少女囲碁大会に出場し、優勝する井山裕太に敗れる[2]。同小4年で、少年少女囲碁大会に出場し、初戦の下坂美織に敗れる[3]。大淵盛人の通い弟子となる。同小5年で、少年少女囲碁大会に出場し、後に院生となる準優勝者に敗れる[4]。同小6年で、少年少女囲碁大会全国大会優勝[5](準優勝は兆乾)。日本棋院院生となる。
2002年、棋士採用試験では予選通過できず[6]。2003年、冬季棋士採用試験では14位に終わる[7]。
2004年、大淵盛人の内弟子となり、神奈川県津久井郡相模湖町へ転居。夏季棋士採用試験では、10位に終わる[8]。冬季採用試験では、5位となる[9]。
2005年、中野杯U20選手権で4位入賞。院生リーグ戦で3か月連続1位という圧倒的な成績を収め、6月30日付で入段を果たす[10]。2007年8月17日、二段(公式棋戦30勝)に昇段[11]。
2008年、新人王戦で河英一を2-0で降し、優勝。同棋戦はこの年から優勝経験者は「卒業」となるようシステムが変わったとはいえ、二段での優勝はそれまでの記録を大きく破るもので話題を呼んだ[注 1]。
2009年、賞金ランキングにより、三段へ昇段[12]。若鯉戦(非公式戦)で優勝。2010年、賞金ランキングにより、四段に昇段[13]。
2011年、賞金ランキングにより、五段に昇段[14]。10月、第37期名人戦で自身初のリーグ入りを果たす。規定により、七段に飛び付け昇段[15]。11月20日、公式戦となった若鯉戦にて決勝戦で志田達哉を降し優勝する。若鯉戦は抽選時六段以下が参加資格のため、ラストチャンスをものにしたこととなる。棋道賞新人賞を受賞。
2012年8月まで行われた第37期名人戦リーグは、2勝6敗で陥落。2015年にも第41期名人戦で自身二度目のリーグ入りを果たしたが、0勝8敗で陥落となった。
2020年、第45期棋聖戦でファーストトーナメントを突破すると、Cリーグ4勝1敗でBリーグに昇格[16]。2021年、第46期棋聖戦Bリーグでは2勝5敗の7位で降格[17]。
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棋歴
獲得タイトル
良績
- 名人戦 リーグ入り2期(第37期2-6、第41期0-8)
- 若鯉戦 優勝(2009年・第4回)※当時は非公式戦
受賞歴
- 棋道賞新人賞(2011年)
昇段履歴
脚注
外部リンク
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