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冷泉為秀

鎌倉時代後期~南北朝時代の公卿、歌人。冷泉為相の次男。従二位・権中納言。勅撰集『風雅和歌集』以下に26首入集。冷泉家2代。子に冷泉為邦 ウィキペディアから

冷泉為秀
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冷泉 為秀(れいぜい ためひで)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿歌人官位従二位権中納言冷泉家2代当主。

概要 凡例冷泉為秀, 時代 ...

経歴

正二位権中納言・冷泉為相の子として誕生。公卿であったが鎌倉に在住する事が長かった。

歌人として優れていたようで梵灯庵今川貞世鎌倉公方足利基氏和歌を教授した。また、勅撰集風雅和歌集の編纂では正親町公蔭らと寄人を務め、貞和6年(1350年)の年中行事歌合では判者を務めた。

応安5年(1372年)、薨去。家督は為尹が継いだ[1]

系譜

脚注

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