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前田利豁

日本の江戸時代後期~明治時代前期の大名・藩知事。越中富山藩9代藩主前田利幹八男で、上野七日市藩10代藩主前田利和養子。七日市藩11代藩主 ウィキペディアから

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前田 利豁(まえだ としあきら)は、江戸末期から明治初期の大名華族

概要 凡例前田利豁, 時代 ...

上野七日市藩第11代(最後)藩主、同藩初代知藩事を務めた。

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生涯

文政6年(1823年)1月9日、越中富山藩の第9代藩主・前田利幹の八男として江戸で生まれる(異説として第10代藩主・利保の弟であるという説もある)。

第10代藩主・利和の養子となり、利和が天保10年(1839年)11月12日に死去したため、翌天保11年(1840年)2月2日に家督を継いだ。天保12年(1841年)1月8日、町家で火事が起こり、陣屋や長屋などほとんどが類焼してしまった(俗に「燈籠火事」といわれる)。この年、大坂城の警護を命ぜられる。天保13年(1842年)に藩校・成器館を創設する。天保14年(1843年)に藩邸(現存している建物)を再建する。嘉永2年(1849年)2月の旱魃で藩内が大被害を受けると、本家の加賀藩から援助を受けた。嘉永6年(1853年)、黒船来航により、江戸警備を命ぜられた。慶応2年(1866年)には江戸詰の留守居・横尾鬼角らによって、利豁を廃立して若年の利昭を擁立し、藩政を独占しようという陰謀が企てられたが、加賀藩によって鎮圧された。またこの年、上野国吉井ならびに下仁田の警護をする。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順し、会津藩に出兵する。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で七日市藩知事に任じられるが、8月2日に家督を長男・利昭に譲って隠居した。明治10年(1877年)8月16日、東京にて死去した。享年55。

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系譜

父母

正室

子女

  • 前田利昭(長男)生母は緑操院(正室)
  • 前田信乃
  • 前田栄次郎


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