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前田治 (陸軍軍人)
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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前田 治(まえだ おさむ、1887年(明治20年)4月27日[1] - 1940年(昭和15年)5月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]
経歴
1887年(明治20年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第32期卒業[1]。1931年(昭和6年)8月に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、野砲兵第3連隊長に就任した[2]。1932年(昭和7年)に陸軍重砲兵学校教官に転じ[2]、1933年(昭和8年)に砲兵監部員[2]、1934年(昭和9年)に陸軍省兵器局銃砲課長[2]、1935年(昭和10年)に陸軍重砲兵学校幹事を歴任した[2]。
1936年(昭和11年)3月に陸軍少将に進級し[3]、1937年(昭和12年)に野戦重砲兵第2旅団長に着任[1]。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍造兵廠総務部長に転じ[1]、7月15日に陸軍野戦砲兵学校長に就任した[1]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍中将に進級し[3]、新設された第35師団長に親補され[1]、日中戦争に出動[1]。黄河北岸の新郷に駐屯し[1]、魯南作戦などで指揮を執ったが[1]、在職中の1940年(昭和15年)5月21日に北支で死去[1][4]。
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栄典
- 勲章
脚注
参考文献
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