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加藤六蔵
実業家、政治家 ウィキペディアから
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加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1858年6月6日(安政5年4月25日[1]) - 1909年(明治42年)6月21日[2])は、明治期の政治家、衆議院議員(6期)。醤油醸造家、実業家。諱・尚正[3]。

経歴
三河国宝飯郡前芝村(現・愛知県豊橋市前芝町)で[3]、豪商にして代々郷士の加藤家当主・加藤六蔵正文の長男として生まれる[3]。豊橋で漢籍を修めた後、1875年(明治8年)東京に出て慶應義塾に学び、愛知県第二中学校、宝飯郡教育会議長[2]、尾三農工銀行、宝飯銀行各取締役、豊橋米麦取引所理事長、豊橋商業会議所会頭、ほか鉄道等の設立に関わる[2]。
政治面では宝飯郡連合村会議員、同郡会議員、同郡農会長、所得税調査委員、愛知県会議員を経て[2]、1890年の第1回衆議院議員総選挙において愛知県第10区から大成会で立候補して当選する[4]。東三倶楽部を組織し、立憲憲政党、中国進歩党等を渡り、憲政本党の要職を得る。衆議院議員は6期務めた[2]。
親族
脚注
参考文献
リンク
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