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加藤康弘
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加藤 康弘(かとう やすひろ、1986年5月13日 - )は、プロサッカー選手。ポジションはFW、MF。
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来歴
小学4年時から地元の少年サッカーチームに入団しサッカーを始める。
中学時代は名古屋グランパスエイトのジュニアユースに所属。高校は愛知県の東邦高校へ進学した。その後、2年時に長野県の地球環境高校、3年時に茨城県の東海学院文化教養専門学校へ編入した。
浜松大学(現常葉大学)時代は当初試合出場のチャンスに恵まれなかったが、4年時に監督に就任した長澤和明に見出されシーズン途中でレギュラーに定着。3年ぶりに浜松大学をインカレへと導いた。
大学卒業後はAC長野パルセイロに入団するも、1年で退団。タイ・プレミアリーグのオーソットサパー・M-150・サラブリーFCに移籍を果たす。その年の夏には同リーグのロイヤル・タイ・アーミーFCへ移籍した。
2011年、ラトビア・ヴィルスリーガのFBグルベネと契約し、2度の決勝点を含む12試合3ゴールと結果を残し、同年7月、ラトビアの強豪FKヴェンツピルスへ移籍した。その年、UEFAヨーロッパリーグ予選2回戦ベラルーシのFCシャフティオール戦では後半途中から出場し勝利を収める。11月には日本人初となるヴィルスリーガで優勝を果たす[1]。
2012年1月、ウクライナ・ファーストリーグのFCザカルパッチャ・ウージュホロド(現・FCホヴェルラ・ウージュホロド)の招待を受け練習に参加。同年2月契約に至りウクライナリーグでは初の日本人選手誕生となる[2]。FCザカルパッチャはファーストリーグでの優勝を果たし来期のプレミアリーグの昇格を決めている。
2013年9月26日、ポーランド・Iリガ(2部)所属のストミール・オルシティン(OKS STOMIL OLSZTYN)に加入。同年11月9日、ホームでのミエジュ・レグニツァ(Miedź Legnica)戦で初ゴールをあげる。
2015年9月7日、スロベニア・ドルガ・リーガ(2部)所属のドラヴァ・プトゥイ(Drava Ptuj)に加入。元スロベニア代表で2002 FIFAワールドカップにも出場したネストヤ・チェフと共にプレー。
2015年12月28日、故郷である蒲郡市観光大使に任命された[3]。
2017年、現役引退を発表[4]。
2024年、ポーランドのIV LIGA(5部)のピサ・プリマベーラ・バルチェボにて現役復帰[4]。
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所属クラブ
- 名古屋グランパスU-15
- 東邦高校
- 地球環境高校
- 東海学院文化教養専門学校
- 浜松大学
- 2009年
AC長野パルセイロ
- 2010年 - 2010年7月
オーソットサパー・サラブリーFC
- 2010年7月 - 2010年12月
アーミー・ユナイテッドFC
- 2011年 - 2011年6月
FBグルベネ
- 2011年6月 - 2012年2月
FKヴェンツピルス
- 2012年2月 - 2012年
FCザカルパッチャ・ウージュホロド(現・FCホヴェルラ・ウージュホロド)
- 2013年9月 - 2015年
ストミール・オルシュティン
- 2015年8月 - 12月
ドラヴァ・プトゥイ
- 2016年8月 - 2017年
モトル・ルブリン
- 2017年
ラジルFC東三河
- 2024年 -
ピサ・プリマベーラ・バルチェボ
個人成績
その他の公式戦
- 2011年 UEFAヨーロッパリーグ予備予選2回戦 1試合0得点
タイトル
クラブ
FBグルベネ
- ラトビアカップ(2010-2011)
- ヴィルスリーガ(2011)
FCザカルパッチャ・ウージュホロド
- ウクライナ・ファーストリーグ(2011-2012)
その他
脚注
関連項目
外部リンク
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