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北条斎時

鎌倉時代後期から末期の人物 ウィキペディアから

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北条 斎時(ほうじょう なりとき[2])は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将。北条氏の一門。伊具流北条通時の子[1](異説として伯父の北条時基を父とする系図もある[1])。初名は時高(ときたか)[1]。改名後の名は「齊時」(新字体:斉時)とも表記される[1]

概要 凡例北条斎時/北条斉時, 時代 ...

概略

嘉元元年(1303年)4月11日、42歳で七番引付頭人、翌2年(1304年)六番引付頭人、同年12月7日、五番引付頭人、嘉元3年(1305年)、四番引付頭人を務める。延慶2年(1309年)、48歳で時高から斎時(斉時)に改名する[3]。同年3月15日、五番引付頭人、同8月、四番引付頭人。応長元年(1311年)10月25日、三番引付頭人、正和2年(1313年)7月26日、二番引付頭人。

文保元年(1317年)12月27日、56歳で二引付頭人を辞任。元徳元年(1329年)9月3日、68歳で没。

斎時の家系は鎌倉幕府二代執権北条義時の四男・北条有時を祖とする伊具流[1]で、祖の有時以降、幕府要職を務めたのは、有時の孫である斎時のみである。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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