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北条時敦

鎌倉時代後期の武士 ウィキペディアから

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北条 時敦(ほうじょう ときあつ)は、鎌倉時代後期の武将北条氏の一門。政村流北条氏。父は北条政長。母は長井時秀の娘。

概要 凡例北条時敦, 時代 ...

正安元年(1299年6月従五位下、修理権亮に叙爵され、嘉元元年(1303年)には左近将監、弾正少弼を兼任した上で、延慶3年(1310年従五位上に昇叙。同年から文保元年(1317年)まで越後守の官途にあった。

徳治元年(1306年)、引付衆の一員として幕政に参画し、延慶3年(1310年)には従五位上叙位され、六波羅探題南方に就任、正和4年(1315年)、北方に転任した。この頃持明院統大覚寺統の間で皇位継承を巡る紛糾があり、時敦は大仏維貞と共に朝廷と折衝して問題の調停に尽力した。六波羅探題の北方は摂津播磨の守護を兼備しており、時敦も摂津と播磨の守護職にあったようである。更に佐藤進一の指摘によれば加賀国の守護職も担当していた。

元応2年(1320年)5月24日、京都にて40歳で死去した。

玉葉和歌集』『続千載和歌集』にそれぞれ4首の歌が収録されている。

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参考文献

  • 北条氏研究会「北条氏系譜人名辞典」
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