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北条長順

戦国時代から安土桃山時代の武将。北条幻庵の3男。後北条氏の家臣。 ウィキペディアから

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北条 長順(ほうじょう ちょうじゅん、? - 永禄12年12月6日1570年1月12日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将覚胤の名も残る[1]北条幻庵の三男で後北条氏の家臣[1]。公名を箱根少将[2]

生涯

箱根権現に入寺しており、箱根権現社別当職を継承することを予定されていたとされる[2]

永禄12年(1569年)、武田氏による駿河侵攻からの北条氏との敵対により、三増峠の戦い後の第三次駿河侵攻の際に武田勝頼の攻撃を受け、駿河蒲原城静岡県)に篭城するが落城、兄である氏信(北条綱重)と共に討死した[1]

法名は融深(妙覚院融深殿)[1]。法名は他に長順・覚胤と伝えられている[3]融深の「融」字は宗哲から別当職を継承した融山の一字を承けたものであり、「長」「覚」の字も、父の関係者に多く見られるものであるから、法系ごとに数種の法名を有していたと考えられている[2]

脚注

参考文献

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