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北畠教真

日本の政治家 (1904-1969) ウィキペディアから

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北畠 教真(きたばたけ きょうしん、1904年8月18日[1] - 1969年2月14日)は、浄土真宗本願寺派僧侶政治家参議院議員(2期)。

経歴

福岡県出身。1928年龍谷大学文学部を卒業後、ベルリン大学ライプツィヒ大学に留学。山形県天童市の善行寺住職を継承した後に本願寺派の社会部長、教育部長、総務部長を歴任。築地本願寺輪番ならびにあそか病院長、津村別院輪番、宗会議長、全日本仏教会事務総長なども務めた。1954年ビルマにおける世界仏教徒会議では日本代表となった。

1956年第4回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補したが落選した[2]第5回第7回の参議選に自由民主党から全国区で立候補し当選[3][4]行政管理庁政務次官、党副幹事長を務めた。文教系議員であり、平城京跡の国による買い上げを推進した。1963年にはベオグラードでの第52回列国議会同盟会議に出席。

1969年2月14日死去、64歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[5]。同月26日の参議院本会議では日本社会党小林武追悼演説した。

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エピソード

趣味は歌唱で、童謡『月の沙漠』を歌って涙するような情緒豊かな面があった。一方、柔道8段(講道館)の腕前でもあり、「北畠教真か、石黒敬七か」と並び称された[誰によって?]

脚注

参考文献

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