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千明孝一

日本のアニメ監督、アニメ演出家、アニメーター、脚本家 (1959-) ウィキペディアから

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千明 孝一(ちぎら こういち、1959年 - )は、日本男性アニメーターアニメ演出家アニメ監督神奈川県出身[1]

概要 ちぎら こういち 千明 孝一, 出生地 ...

タツノコプロダクションのアニメ技術研究所でキャリアをスタートし、マッドハウスGONZOを経て2019年からフリー[2]

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来歴

1979年、19歳でアニメーター養成機関のタツノコアニメ技術研究所に入所[1][2][注釈 1]。その後、スタジオテクへ移籍。

1989年に安彦良和監督の映画『ヴイナス戦記』で初演出[2][3]。誘われたのは監督助手としてだったが、安彦がクレジットを「演出」としてくれたおかげで、以前仕事をしたサンライズの制作からテレビアニメミラクルジャイアンツ童夢くん』の演出と絵コンテのオファーが来る[3]。以降、サンライズの演出ローテーション入りを果たし、『新機動戦記ガンダムW』等の演出、絵コンテを手掛けた。

1990年にはマッドハウスのOVANINETEEN 19』で初監督を経験する。

1998年、日本のアニメ業界初のフルデジタルアニメとなるOVA作品『青の6号』で全話の各話演出を担当[4]。初めは他の人が描いた絵コンテを演出する役割だったので断ったが、GONZOの制作・中島伸治の「これからはデジタルの時代」という言葉に気持ちが動かされ、引き受けることにした[1][4]。当時はフリーだったが、この作品からGONZOの社内スタッフとなった[1]

2006年の劇場アニメ『ブレイブ ストーリー』で初めての長編映画監督を務めた[5]

2019年のNetflixアニメ『虫籠のカガステル』を最後に、GONZOを退社してフリーになる[6]

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人物・作風

アニメ表現ではキャラクターの心の機微などの感情表現を描いた芝居や動きの面白さを好み、スケールの大きな世界観の作品を得意としている[7]

1980年代、同僚たちの実力を目の当たりにして、アニメの仕事を続けるためにアニメーターから演出家への転向を考える[3]。しかし、当時は作画から演出に転向する人はほとんどおらず、ルートがなかった[3]。また「アニメーターとして実力不足だから演出になった」と言われることもあった[3]。そこで、まず作画監督を任されることを目指し、それから周囲に演出家になりたいという意思を表した[3]。すると噂を聞いた安彦良和が自身の映画に誘ってくれ、それをきっかけに演出の仕事が来るようになった[3]

大の野球好きで、ことあるごとに「野球アニメが作りたい」と言っている[8]。タツノコアニメ技術研究所に所属していた二十代前半の頃には研修生仲間で野球部を作っただけでなく、タツノコプロダクションの方の野球部にも所属していた[9]。それ以外にもサンライズの野球チームに所属したり、GONZOで野球部を立ち上げたりしている[1]

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参加作品

テレビアニメ

1980年
1985年
1988年
1989年
1990年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2006年
2007年
2008年
2009年
2011年
2013年
2014年
2016年
2017年
  • 銀の墓守り(脚本)
  • 18if 第7話「ソシテ ダレモ イナイ…」(監督・脚本・絵コンテ・演出・作画監督・音響監督)
2020年
2021年
2022年
2024年

劇場アニメ

1988年
1989年
1990年
1993年
1998年
1999年
2006年
2013年

OVA

1986年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1997年
1998年
  • 青の6号(-2000年、美術デザイン・設定・絵コンテ・演出・原画)
1999年

Webアニメ

2020年
2022年
  • 「あなたを一言で表してください」の質問が苦手だ。(監督[25]・絵コンテ・演出)
  • スプリガン(絵コンテ)
2023年
  • 私のハッシュタグが映えなくて。(監督

ゲーム

1996年
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脚注

関連項目

外部リンク

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