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千沢楨治

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千沢 楨治(ちざわ ていじ)は東京出身の美術史学者であり、山梨県立美術館の初代館長を務めた。正四位、勲三等瑞宝章受章。義兄に東京大学名誉教授で「平成」の名付け親とされる山本達郎

概要 ちざわ ていじ 千沢 楨治, 生誕 ...
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経歴

1912年(大正元年)9月23日、東京の千葉直五郎と妻・長の間に二男として生まれる。楨治は満24歳の1936年(昭和11年)12月に跡継ぎの居なかった伯父・千沢平三郎[注釈 1]の養子となり、翌1937年に家督を相続。同年、東京帝国大学の文学部美術史学科を卒業した。その後、1941年(昭和16年)3月まで同学科研究室の副手を、1944年3月まで同助手を務める。同年4月に帝室博物館の鑑査官補、1947年(昭和22年)4月からは東京国立博物館の文部技官となり、1974年(昭和49年)3月に満61歳で退官するまでの間、同博物館の彫刻室長、東洋館開設準備室長、美術課長、学芸部長などを歴任した[3]。また1963年(昭和38年)にはカンボジア王国よりコマンドール・ド・モニサラポン勲章(Commander of the Royal Order of Monisaraphon)を受けている[4]

退官翌年の1975年(昭和50年)4月には町田市立博物館の館長に就任し、1982年(昭和57年)3月まで同職を務めた。また1976年(昭和51年)からの山梨県立美術館・開設準備顧問を経て1978年8月、山梨県立美術館の初代館長に就任。ミレーを中心としたバルビゾン派作品の収集に努めた。楨治は1941年から40年以上教鞭をとった東京女子大学をはじめ、実践女子大学、東京大学、明治大学、学習院女子短期大学、青山学院女子短期大学で講師を務め、上智大学においては1973年から1977年まで講師を、同年から1983年(昭和58年)までは教授を務めている[3]

専門は日本美術史で、特に彫刻および琳派に関しての造詣が深い。上智大教授を退任翌年の1984年(昭和59年)4月21日、楨治は急性心不全のため東京都渋谷区の日赤医療センターで死去した。享年71。美術史学会及び美術評論家連盟会員、全国美術館協議会理事。同年10月、山梨県政特別功績者表彰を受けた[3]

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家族・親族

  • 千沢平三郎 - 養父、1869年(明治元年12月)生まれ。大阪の観世流能師・橋岡家の長男に生まれる[注釈 2]。1890年ごろ恒岡憲之助、大西亮太郎と3人で東京の宗家へ修行に出たが、能楽衰退期だったため芸事を諦め実業家を志し[7]、1895年に東京市下谷区で銀行業を営む千澤専助の長女・正(まさ、1878年生)と結婚し婿養子となった。大日本炭鉱常務取締役[8]、大正興業監査役[注釈 3]ほか、多くの企業で役員を務める[注釈 4]。1933年(昭和8年)に家督を相続、子が無かったため1936年に甥の楨治を養嫡子に迎えた[11]。第二次大戦後まもなく没す。
  • 頼子 - 妻、1919年(大正8年)9月生まれ。松村眞一郎の長女。女子学習院卒業。叔父の広幡忠隆は皇后宮大夫兼侍従次長を務めた。
  • 千沢治彦 - 長男、1939年(昭和14年)7月生まれ。学習院大学政経学部及び米国アマースト大学卒業後、東京銀行に入り北米部長を務めた。1993年(平成5年)に宮内庁侍従職を、2005年に侍従次長を拝命。妻は第百生命保険の社長を務めた川崎稔の長女・泰子[12]
  • 千沢忠彦 - 二男、1941年(昭和16年)8月生まれ。慶應大学経済学部を卒業し富士電機製造勤務。
  • 千沢昭彦 - 三男、1943年(昭和18年)10月生まれ。学習院大学法学部を卒業し日本石油勤務。妻は日向延岡藩主の家系で子爵・内藤政道[注釈 5]の四女・忠子[4]
  • 千澤専助 - 母方の祖父、1857年(安政4年)生まれ。1882年(明治15年)に幼名・重次郎を改め専助とする。米穀商、下谷銀行頭取、東京市会議員[14]。妻は田中長兵衛の長女・うた(1861年生)。
  • 中大路氏道 - 伯父、1872年(明治5年)9月生まれ。釜石製鉄所第二代所長、三陸汽船及び流山鉄道社長。妻は千澤専助の二女・清(1883年生)。
  • 村田三郎 - 叔父、1888年(明治21年)5月生まれ。1914年に東京高商を卒業し田中鉱山に入社[注釈 6]。1932年(昭和7年)に大正興業、1946年(昭和21年)には流山鉄道の社長に就任した。妻は千澤専助の四女・経子(1898年生)[注釈 7]
  • 千葉直五郎 - 実父、1888年(明治21年)2月生まれ。たばこ三兵衛の一人として知られた千葉松兵衛の長男であり、1926年(大正15年)に家督を継いだ。池貝鉄工所監査役[17]
  • 千葉常五郎 - 実兄、1911年(明治44年)9月生まれ。千葉直五郎の長男。慶應大学卒業。妻の京子は子爵・鍋島直庸の長女。
  • 松村眞一郎 - 義父、1880年(明治13年)生まれ。京都出身で東京帝大法科を出て農商務省へ。後に貴族院議員及び参議院議員を務めた。
  • 山本達郎 - 義兄、1910年(明治43年)生まれ。松村眞一郎の二男であり、祖父・山本達雄の養子に入る。文化勲章受賞。
  • 倉知善吉 - 義弟、1911年(明治44年)生まれ。住友信託銀行取締役。妻は松村眞一郎の二女・治子[19]


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著書

単著

  • 『金銅仏』大日本雄弁会講談社、1956年7月。 NCID BN05341795。全国書誌番号:56011561。
  • 『光琳 = Korin』(日本の名画:原色版) 平凡社、1957年9月。 NCID BA53085388。

編書

  • 『カンボジア王国秘宝展』毎日新聞社、1963年。 NCID BN05185929。
  • 『宗達』(日本の美術, No.31) 至文堂、1968年。 NCID BN09849667。
  • 『光琳』(日本の美術, No.53) 至文堂、1970年10月。 NCID BN10544791。
  • 『酒井抱一』(日本の美術, No.186) 至文堂、1981年11月。 NCID BN10158233。

脚注

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