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千種町 (愛知県)

日本の愛知県愛知郡にあった町 ウィキペディアから

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千種町(ちくさちょう)は、かつて愛知県愛知郡にあった。現在の名古屋市千種区西部に該当する。

概要 ちくさちょう 千種町, 廃止日 ...

地理

標高は5mから30mほどで、西端で低く東に向かってなだらかに上っていき、東端でやや急に高くなる。 蝮池・今池・振甫池・鉄砲池といった溜め池がある。

歴史

中世から近世にかけて「古井村」と呼ばれた地域で、村域は現在の東区西部や新栄あたりまでの広い範囲に及んでいた。江戸時代には尾張藩領となり、清洲越し以来の名古屋城下の拡大に飲まれていった。廃藩置県により名古屋県を経て愛知県に所属。純農村だったが、次第に市街化して商工業が盛んになった。

行政区画の変遷

  • 1872年(明治5年)9月29日 - 愛知県区画章程により第二大区第七小区に所属。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 愛知県第二区に所属。古井村に、丸山村、名古屋村東畑、名古屋新田、春日井郡鍋屋上野村のそれぞれ一部が合併し、千種村となる。
  • 1878年(明治11年)12月20日 - 郡区町村編制法のもとで、愛知郡千種村となる。
  • 1884年(明治17年)8月1日 - 田代村[注釈 1]とともに愛知郡第25組を構成し、千種村字高見に連合戸長役場が置かれた。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行し千種村が発足。千種村の一部[注釈 2]鍋屋上野村[注釈 1]に編入される。
  • 1902年(明治35年)2月13日 - 町制施行。千種町となる。
  • 1909年(明治42年)10月1日 - 中央本線より西側の一部地域を名古屋市中区へ編入。[注釈 3]
  • 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市に編入され、名古屋市東区千種町となる。
  • 1937年(昭和12年) - 東区から千種区が分離し、千種区千種町となる。

出来事

  • 1911年(明治44年)10月 - 飛鳥井孝太郎寺沢留四郎らにより帝国製陶所が設立される[1]
  • 1912年(明治45年)7月 - 青果物仲立の株式会社東愛市場が設立[2]
  • 1912年(大正元年)12月 - 松村硬質陶器合名会社が資本金3万円で成立[3]
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官公署

  • 名古屋監獄
    1897年(明治30年)に名古屋市竪三ツ蔵町より移転。現・吹上公園
  • 名古屋市立城東病院
    1901年(明治34年)7月に千種駅北隣に開設。現・千種駅前広場
  • 名古屋陸軍兵器支廠・千種機器製作所
    1906年(明治39年)設置。現在の北千種・若水一帯
  • 愛知県工業試験場
    1917年(大正6年)7月に開設。現・名古屋工業大学

産業

農業は米麦のほかに、盆栽庭木、養鶏酪農が盛んだった。商業は飯田街道沿いに多く、工業は陶磁器織物が主であった。

金融機関

  • 愛知農商銀行千種派出所
  • 報徳銀行千種出張所

教育機関

交通機関

鉄道

脚注

参考文献

関連項目

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