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協約民主主義
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協約民主主義(きょうやくみんしゅしゅぎ、英:Concordance democracy)とは、できるだけ多くの異なる集団(政党、各種団体、少数派、社会集団)を政治過程に参画させ、合意によって意思決定を行うことを目指す統治様式。この点で、協約民主主義は合意型民主主義の一形態である。これに対する対抗モデルは、競争型民主主義または多数決型民主主義と呼ばれる[1][2]。
スイス
スイス政治の協約制度は、主要政党が7名から成る連邦参事会に統合されることで実現している[3]。
協約システムは次の二原則に基づく
この制度(州レベルでも存在)の背景の一つは、直接民主制の脅威が受け止められている点にある。というのも、中程度の規模の野党でも理論上は多数の国民投票の提案によって政府を麻痺させうるからである。
政府の構成員が共同で決定を下し、その決定を連帯して負うべきだとすることは、合議制の原則と呼ばれ、スイス連邦憲法(第177条第1項)に基礎づけられている。[4]連邦参事会の構成員は党派政治を抑制し、行政府メンバー間で協力的精神を促進することが求められる。たとえ個人の見解や所属政党の立場に反するとしても、政府の公式見解を擁護しなければならない。
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歴史
1848年、新たな連邦憲法はスイスを連邦とし、もはや連合ではないものとした。これにより、連邦レベルの行政府機関として連邦参事会が導入された。連邦参事会の全構成員が一度に総入れ替えになったことはなく、常に一部改選であった。形式上、スイスは常に同じ安定的で合意的な政府を持ってきたことになり、左右の主要政党が定期的に政権交代する多くの西欧民主主義国とは対照的である。協約システムは1891年、キリスト教保守のヨーゼフ・ツェンプが、それ以前は自由民主党のみで構成されていた連邦参事会に加わったことで始まった。これにより政府外野党による反対が減少した事実は、スイスの一部の政治学者によって「ツェンプ効果」と呼ばれている。[5]1959年から2003年までは、連邦参事会はスイス自由民主党(英語版)2、スイス社会民主党2、スイスキリスト教民主党2、スイス国民党1という不文律の「マジック・フォーミュラー」に基づく構成であった。[6]2003年以降は、スイス国民党の台頭を反映して、その構成が変更されている。
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脚注
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