南掃守村(みなみかもりむら)は、かつて大阪府に存在した村である。村名の由来は、『和名抄』などに見られる郷名「掃守」より。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2021年6月) 概要 みなみかもりむら 南掃守村, 廃止日 ...みなみかもりむら南掃守村 兵主神社廃止日 1942年4月1日廃止理由 新設合併南掃守村、岸和田市、春木町、山直町 → 岸和田市現在の自治体 岸和田市廃止時点のデータ国 日本地方 近畿地方都道府県 大阪府郡 泉南郡市町村コード なし(導入前に廃止)隣接自治体 岸和田市、泉南郡春木町・山直町南掃守村役場所在地 大阪府泉南郡南掃守村大字下松座標 北緯34度27分14秒 東経135度23分41秒ウィキプロジェクトテンプレートを表示閉じる 歴史 1874年(明治7年) 南郡加守村南春木が春木村に編入される。 1889年(明治22年)4月1日 南郡加守村、西之内村、下松村、上松村、尾生村[注釈 1]、三ケ山新田[3]が合併して、南郡南掃守村が発足。大字下松に村役場を設置。 1896年(明治29年)4月1日 郡の統廃合により、所属郡が泉南郡となる。 1910年(明治43年) 大字三ケ山新田を三ケ山に改称。 1942年(昭和17年)4月1日 岸和田市、春木町、山直町と合併し、岸和田市となる。 交通 鉄道路線 現在は西日本旅客鉄道阪和線下松駅が所在するが、当時は未開業。 道路 熊野街道 牛滝街道 産業 和泉織物 注釈 [1]尾生は、苧生[1](オブ)で、苧生は藺生から転じたものだという。また、「ウブ」から転じたものとも考えられ、「ウブ」は「未熟な状態・土地が軟らかい・湿地」のこと、と地名辞典にある。附近には「冷水」(ヒヤミズ)という小字名もあり、「ヒヤ」は「ヒヨ・ヒヨメキ」で湧水を指すことからも、尾生は湿地という地形的な特徴からつけられた地名であるといわれる[2]。 出典Loading content...関連項目Loading content...Loading related searches...Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.Remove ads