トップQs
タイムライン
チャット
視点

南条吉左衛門

ウィキペディアから

Remove ads

南条 吉左衛門(なんじょう きちざえもん、嘉永6年5月9日[注 1]1853年6月15日) - 昭和11年(1936年5月6日[1])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員

来歴

信濃国小県郡別所村(現長野県上田市)生まれ。幼名は豊太郎。横浜開港に伴う養蚕業の隆盛により、蚕種の国内需要が増大したのを受けて蚕種製造業を始める。明治31年(1898年)から小県蚕種同業組合長を務めた。

明治12年(1879年)村戸長となり、自由民権運動に共鳴して嚶鳴社に参加し[2]、同14年(1881年)大隈重信の知遇を得て、千曲川沿いの一帯に立憲改進党の支部を組織した[2]。[翌年(1882年)長野県会議員となり、同22年(1889年)上田に改進党系の結社「已丑倶楽部」を結成して会長となった。同37年(1904年)第9回衆議院議員総選挙に当選した。日露戦争に関して殊功があり、勲四等旭日小綬章を受けた。

政界引退後、大正6年(1917年)に別所温泉に長野県初となる株式会社のホテル「花屋」を開業し、温泉街の発展に尽力した。

脚注

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads