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原田敬一 (陸軍軍人)
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原田 敬一(はらだ けいいち、1880年(明治13年)12月18日[1] - 1946年(昭和21年)4月8日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・松永。
経歴
佐賀県出身[1][2]。松永甚六の二男として生まれ、1897年(明治30年)原田卯吉の死跡を相続した[3]。1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業[1][4]。1901年(明治34年)6月、歩兵少尉に任官[4]。日露戦争に出征した[5]。1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業した[1][2][6]。
1913年(大正2年)11月、歩兵少佐に進級[7]。1918年(大正7年)7月、歩兵中佐に昇進した[7]。1922年(大正11年)2月、歩兵大佐に進み歩兵第57連隊長に就任[2]。1923年(大正12年)2月、第1師団参謀長、1924年(大正13年)12月、教育総監部第2課長、1925年(大正14年)5月、同第1課長を歴任し、1926年(大正15年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第21旅団長に就任した[1][2]。
1927年(昭和2年)7月、第2師団司令部付となり、1928年(昭和3年)8月、陸軍歩兵学校付、1929年(昭和4年)8月、同校教育部長を経て、1930年(昭和5年)8月、同校長に就任[1][2]。1931年(昭和6年)8月、陸軍中将に進み、1932年(昭和7年)4月、第8師団留守司令官となる[1][2]。1933年(昭和8年)3月、第11師団長に親補され、1934年(昭和9年)8月に待命となり、同年9月、予備役に編入された[1][2]。
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栄典
- 位階
- 勲章
- 外国勲章佩用允許
親族
- 妻 原田タツヱ(岡本兵四郎陸軍中将の長女)[3]
脚注
参考文献
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