トップQs
タイムライン
チャット
視点
原田香里
日本のプロゴルファー ウィキペディアから
Remove ads
原田 香里(はらだ かおり、1966年10月27日 - )は、山口県光市出身の日本の女子プロゴルファー。元日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 副会長。
経歴
小学6年生でゴルフを始め、高校は京都府にある平安女学院に入学。日本大学に進学し、4年時の日本学生選手権で優勝[1]。1989年にプロテストに合格し、JLPGA入会。
1992年、ミズノオープンレディスゴルフトーナメントで最終日7位タイからスタートしたものの、通算10アンダーまで伸ばした。李英美とのプレーオフの末、ツアー初優勝。賞金ランキング17位。
1993年、日本女子プロゴルフ選手権大会では最終日を2位・吉川なよ子、安井純子、高村亜紀に3打差をつけてスタート。「1メートルのパーパットに緊張で手足がガタガタ震えた」という重圧だったが、パー確保を続けた。通算4アンダー、2位・安井に3打差で公式戦初優勝[1]。JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦で通算1アンダー、2位・岡本綾子に1打差で公式戦2連続優勝。賞金ランク6位。
1994年、1995年は優勝なく、賞金ランクはそれぞれ30位、25位。
1996年、ヤクルトレディースゴルフトーナメントでは通算6アンダー、2位・村井真由美に5打差で優勝。We Love KOBE サントリーレディスオープンゴルフトーナメントでは元載淑に5打差をつけられるも2位。日本女子プロでは最後まで高村と優勝を争ったが1打差で敗れた。廣済堂レディスゴルフカップ、伊藤園レディスゴルフトーナメントでも2位タイと同年は何度も2位を経験。賞金6,296万円余で自己最高の賞金ランク2位。
1997年、健勝苑レディス・道後では通算イーブンパーで平田充代と並んだが、プレーオフを制し優勝。賞金ランク14位。
1998年、グローリークイーンズカップでは通算1アンダー、2位・服部道子、本山裕子に1打差で優勝。リゾートトラストレディスでは通算9アンダー、2位・野呂奈津子に2打差で優勝。最終戦のJLPGA明治乳業カップでは最終日を首位タイで迎えたものの、優勝した李英美に2打届かなかった。賞金額6,844万円余、賞金ランク2位は共に自己最高。
1999年、2000年は目立った活躍がなかったが、2001年はアピタ・サークルK・サンクスレディスでホールインワン達成。同大会は2位タイだったが、優勝した米山みどりとは9打という大差だった。賞金ランク8位。
2003年、マンシングウェアレディース東海クラシックでは優勝した不動裕理に1打及ばず2位。賞金ランク27位。
2004年、中京テレビ・ブリヂストンレディスオープンでは斉藤裕子に3打差をつけられて2位。賞金ランク37位。
ツアー引退後はJLPGAの理事、副会長を歴任している[2]。
Remove ads
成績
JLPGAツアー優勝 (7)
※太字は公式戦
Remove ads
人物・逸話
表彰
- JLPGA
- 敢闘賞 (1996年)
- 平均パット数第1位 (1998年)
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads