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厨川圭子
日本の翻訳家 (1924-) ウィキペディアから
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厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11月11日[1][2] - )は、日本の翻訳家。
略歴
厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)[2]で生まれた[注釈 1]。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎、厨川文夫に師事して1949年卒業した。
1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚[4]。1950年、単身でアメリカへ1年間留学[注釈 2][5]。1952年には長男の明を出産した[4]。1956年、一家は明の転地療養のため東京都中野区から埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)に転居した[6]。文夫とは、サー・トマス・マロリー『アーサーの死(抄訳)』(筑摩書房『世界文学大系』、第66巻『中世文学集II』所収、269頁 - 416頁、1966年9月)を共訳している[7]。
1974年、文夫が慶應義塾大学を定年退任(成城大学教授に就任)すると、その夏に夫婦でヨーロッパ旅行に出かけ[8]、スイスにかぎってはその翌年・翌々年の8月にも夫婦で二度三度と訪れた[9]。1978年、夫・厨川文夫が逝去した[9]。
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翻訳
- 『ウィンダミア卿夫人の扇』(ワイルド、岩波文庫) 1952
- 『真面目が肝心』(ワイルド、角川文庫) 1953
- 『理想の夫』(ワイルド、角川文庫) 1954、のち改版 2022、のち改題『理想の結婚』 2000
- 『緑の月桂樹』(M・シャープ、白水社、現代世界戯曲選集第11) 1954
- 『ピーター・パン』(ジェイムズ・マシュー・バリ、岩波少年文庫) 1954
- 『あしながおじさん』(ジーン・ウェブスター、角川文庫) 1955
- 『迷える夫人』(ウイラ・キャザー、研究社出版) 1957
- 『シェイクスピア物語』(チャールズ・ラム、メアリー・ラム、白水社) 1963、のち偕成社文庫
- 『ホリーとアイビーの物語』(ルーマ・ゴッデン、偕成社) 1965
- 『ふしぎなお人形』(ルーマ・ゴッデン、偕成社) 1966
- 『アーサーの死』(マロリー、キャクストン編、厨川文夫共訳、筑摩書房、世界文学大系) 1966
- 新編『アーサー王の死』(ちくま文庫) 1986
- 『ねぼすけはとどけい』(ルイス・スロボトキン、偕成社) 1968
- 『ロバのロバちゃん』(ロジャー・デュボアザン、偕成社) 1969
- 『ジェインのもうふ』(アーサー・ミラー、偕成社) 1971
- 『おかあさんのかえるひ』(バーナデット・ワッツ、偕成社) 1975
- 『あめのひきのこは…』(ステーエフ、偕成社) 1976
- 『かわうそのオスカーくん』(ベンチリー、旺文社) 1977
- 『かもさんどんぐりとシチューをおあがり』(ルース=オーバック、偕成社) 1978
- 『風船とばしの日』(キャロリン=ヘイウッド、偕成社) 1980
- 『りんごまつりにいらっしゃい』(ルース=オーバック、偕成社) 1981
- 『ふうせんがはこんだ手紙』(キャロリン=ヘイウッド、偕成社) 1986
サマセット・モーム
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脚注
参考文献
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