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只木章広

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只木 章広(ただき あきひろ、1975年4月16日 - )は栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー

概要 只木 章広, 名前 ...

栃木SC時代は、「栃木の皇帝[2]ミスター栃木SC[3][4] と称された。

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来歴

要約
視点

御幸サッカースポーツ少年団、宇都宮市立鬼怒中学校を経て1991年に栃木県立真岡高校に進学。2学年上に上野優作が、同級生には堀田利明がいた[5]。 高校時に1991年1992年と高校選手権出場を経験した。高校卒業後は順天堂大学に進学。大学時代の同級生には堀田の他川口信男がいた。川口とは卒業後も電話で話をする仲であると語っている[5]。3年次の1996年度大会で総理大臣杯優勝を経験した。

栃木SC

大卒後の1999年より栃木SCに入団[6]。県内の高等学校で教員として勤務しながらサッカーに打ち込んだ。栃木SCは同年度の全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場、北陸電力サッカー部アローズ北陸に次いで2位の成績を修め、翌年度の日本フットボールリーグ参入を決めた。

2000年より背番号10番を付けて[1]、22試合中19試合に出場。主将を務めていた2005年度にはそれまでの歴代最高である年間4位の成績を経験した。この年の5月22日、前期リーグ第10節で栃木SCは初めてHonda FCに勝利した[7] が、只木はその試合について「今までで一番記憶に残っている試合」だと語っている[5]。翌2006年には栃木県代表として第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場、1回戦 ( 佐賀大学戦) で1得点、4回戦 ( 清水エスパルス戦) で1得点を挙げた。栃木SCは4回戦で敗退したが、3回戦でJリーグのクラブに勝利[8]、4回戦でもJ1のクラブと互角に渡り合った[6] ことで、栃木SCの目標であったJリーグ参入への動きが急速に進んでいったが、Jリーグ経験者がプロ契約選手として多数加入する中、只木はベンチ入りや遠征帯同こそ経験するものの、出場機会を減らしていった[9]。同年度シーズンには選手・指導者陣全員のプロ化の方針が発表され[10]、他のアマチュア選手と共にシーズン終了後退団した。

指導者

2008年度より当時関東リーグ2部所属であったヴェルフェたかはら那須に入団。2009年度にはリーグ優勝と1部リーグ昇格を経験した。2010年度は1部リーグ4位の成績を修めたが、シーズン終了後現役を引退した。また、勤務先である栃木県立宇都宮白楊高等学校サッカー部で監督をつとめ、2009年1月開催の第87回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。同校は2回戦 (初戦) をPK戦で勝ち抜いたが3回戦で鹿児島城西高等学校に敗北した[11]

2011年、ヴェルフェたかはら那須のアドバイザリーに就任[12]

2012年3月11日、元栃木SCの選手で栃木SCドリームアンバサダーを務める佐藤悠介が主催した「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」に参加した。只木は「栃木SC OB」チームのキャプテンとして出場、久々に背番号10の栃木SCユニフォームに袖を通した[13]

2012年6月、「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」に参加したことがきっかけの一つとなり、ヴェルフェたかはら那須で現役に復帰した[14]

2015年3月をもって栃木県職員を退職して、同年4月に栃木SCのジュニアユース監督に就任した[1]

2022年より栃木SCのU-18監督兼育成部長に就任した[15]

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成績

出場記録

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
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指導歴

  • 2008年 - 2010年 ヴェルフェたかはら那須 選手兼コーチ
  • 2011年 - ヴェルフェたかはら那須 アドバイザリー
  • 2015年 - 栃木SC
    • 2015年4月 - 2015年12月 ジュニアユース監督
    • 2016 - 2021年 U-18コーチ兼育成部長
    • 2022年 - U-18監督兼育成部長

脚注

関連項目

外部リンク

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